JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
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Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
ロッキードF-104戦闘機は当時の主力戦闘機F-86FとF-86D(全天候型)の次期戦闘機として第一次F-X選定という物議を醸した。
200機以上の新鋭戦闘機を買うというのは戦後日本空前の高額な買い物だったことは間違いない。
候補の機体としてF-100、102、それにF-5等だった。私はこのことを自分がプラモデルを買うような感覚で期待感を持った。 推移は超斬新なF-104に決まりかけていて妥当な選択と思われたが、なんと急に艦上戦闘機のF-11F案が浮上してきた。私はグラマン社のファンだったし、殊にF-11Fの美しいフォルムが好きだったから、この意外な急展開に喜んだ。グラマン社はこのF-11Fをベースにパワーアップし、F-11F-1Fというマッハ2級の試作機をテストしていた。愛称はF-11Fタイガーからスーパータイガーになり、グラマン社はこれを更にG98という開発コードで日本向けに強化するという。虎が猛虎になり、さらに強化されるというのだから、私は未だ見ぬスーパータイガーに期待した。しかし多分、このニュースは多くのマニアを失望させたことだろう、F-104といえば最後の有人戦闘機という謳い文句で圧倒的スピード感のある新鋭機だったから、私のようにグラマンがいい、なんていうへそ曲がりは殆どいなかったろう。
ところがこのG98導入計画に汚職の疑惑が持ち上がり国会は紛糾した、G98は未だ開発途上であり信頼性も未知数ということもあって、結局G98計画は没になった。太平洋戦争の宿敵グラマンに日の丸が描かれることはなかった。(戦闘機以外ではその後S2F,E2Cが導入された) その反面のロッキード逆転勝利という事例は他にもいくつもある、ロッキード社は商売上手という例の最大なものがP-3Cオライオンではないだろうか、原型がエレクトラという旅客機だったが売れなかった上にとうの昔に時代遅れである、それがP3Cとして息をふき帰し対潜哨戒の仕事を取ったから今も世界中で現役である。当時の庶民レベルは自家用車は勿論50ccのバイクすら新車はなかなか買えないというものだった。そんな世情のなかで米国の援助があったとはいえF-104戦闘機の新車?を200機も買うというのはすごいことだった、私はまだ小学生だったが当時の大人はこの買い物で戦後の復興を実感したのではないだろうか。
( Climbing StarFighter )
F-104を最初に見たのは入間基地でのことだった。
F-104を初めて見る日、というインパクトは今日のF-14とかF-15の比ではない。F-14や15はF-4との比較だったから能力はすごいが桁違いという程でもない。しかし当時の日本人のスピード感はF-86レベルのものだったから、そこにF-104ではまさに桁違いである。
会場左側から進入してくるというアナウンスに発表15万人!の観衆全員がかたずを呑んでそれを待つ、自分たちが血税をつぎ込んで買った高級玩具?がどれだけの性能を見せてくれるのか、、、
F-104は北から緩降下で進入してきた、追い風のフルA/B、そのスピードと細いフォルムにいまさら驚いた、104は急激なプルアップではなく、雄大な曲線を描いて上空に駆け上がっていった。薄い雲を突き抜けてインメルマンターンし、背面から戻った104はもうケシ粒ほどになっていた。15万の観衆から、ため息のような歓声が上がった。 J79の独自の爆音と3000mに及ぶ雄大な放物線が今も私の脳裏に鮮やかである、それが私にとっての104のデビューだった。
記憶は前後するのだが実際にF-104に触れたのは浜松基地でのことだった。
高校生の時、体験入隊というイベントがあって一週間ほど隊員生活を経験し、ご褒美にC-46輸送機に乗せてくれる内容で、C-46に乗りたい一心で応募した。基地内には新鋭のF-104があり、いたずら心で排気ノズルに潜り込み、煤で黒くなった記憶があるが、それほどF-104はコンパクトだった。梯子なしでコクピットに乗れるのではないだろうか。その後のF-4が巨大に見えたのも無理はない、そのせいかF-104は爆音だけで発見できないことが多かった。私は爆音で機体を判別するほどのマニアではなかったが104のJ79だけは判別できた、それは擬音すれば「キョーン」という感じになる、他の機体のように獰猛な音ではなく、澄んだ音が好きだった。 高空を飛ぶサウンドから「104だ!」と思っても発見できないことが多かった、他の機体ならそういうことはなかったから、あれだけ小さな機体であることが要因なのだろうが。それはきっと戦闘の場面では発見されにくさとして有利に働いたことだろう。 初めてタッチダウンを見た時は、脚を出したままパスするのかと思ったらそのまま着地した。それくらい着地速度は速い。あのシャープな形態から相当スリリングな飛行機であることは連想されるのだがパイロットにしてみれば乗りこなす醍醐味があったろう。 ドイツではF104を900機以上運用したが、その内なんと300機程が事故で失われた、対して航空自衛隊では通算24機の損失である。いかに西欧の悪天候といえど日本も気候変動は激しいほうだから、航空自衛隊がいかにF-104を乗りこなしていたかを物語る。その典型が日米合同訓練でF-104に乗った日本のスゴ腕のパイロットが米軍のF-15を撃墜(模擬)したことではないだろうか、まるでエリア88の世界のようだ。
百里基地のデモフライトでのことだった、F-104といえば雄大な軌跡の旋回が魅力である、それは表現を代えれば小回りがきかないことだ。しかしこの日の104は低高度をA/B全開の90度バンクで驚くべきタイトターンを行った。104がこんな旋回をするのかと唖然としたのだが、F-4に世代交代が進みつつあった中での当時のパイロットは、F-104でもこれだけの機動ができることを見せたかったのかもしれない。あのパイロットはもしや当時百里配属だった某曲技飛行の名手ではなかったかと今でも思う。
( ローパスキラー 04 )
低高度を高速で突進することにおいて、いまでもF-104に勝る機体はない、濃密な大気を切り裂くのに適したカミソリのような主翼と、コンパクトな前面投影面積のなせる技である。この飛行機はウェポンシステムの枠を離れ、純粋に飛ぶことのロマンを感じさせた存在である。元ロッキードのテストパイロットの民間人が10年がかりでパーツを集めたF-104を組み立て、1977年に速度と高度記録に挑戦した。このとき樹立した低高度の速度記録が今もレコードである、それはなんと1590km/hというものだ。このときはNHKの7時のニュースで報道された、RB-104と書かれた真紅の104が高度100mで砂漠を突進し、やがて強烈なソニックブームがやってきた、見事世界記録を樹立したのは民間の実業家で今度は高度到達記録に挑戦するという。朝の通勤前に見たこのニュースの事は忘れない、民間人がジェット戦闘機を所有し、記録に挑戦する、、、アメリカというのは何とすごい国だろうかと思ったニュースだった。
高度記録は直前にミグ25改の樹立した37650mを破るべくテスト飛行を終えたが、RB-104は脚がロックしない事態に見舞われた。高速な104では胴体着陸は無理である、10年の労作に逡巡しつつも脱出を決意、ベイルアウトした後の主を失ったRB-104はまるで魂があるかのようにしばらく飛び続けたそうだ。
これに似た話がNASAの実験にあり、NF-104Aという主翼を延長してロケットブースターをつけた機体で高高度を狙った。こちらは高空でコントロール不能になったがパイロットは生還した。その模様は映画「ライトスタッフ」に素晴らしい映像がある。
そんなF-104が日本の空を飛んでいた時代に私はなぜか飛行機から遠ざかっていた。モトクロスに熱中していたり、クルマが好きになったり、結婚したのも大きい要因だった。再び飛行機熱が高まり気がついた時にはF-15が導入され、F-104は退役寸前で殆ど見られなかった。F-15には何故か心が動かない。F-104の最後はQF-104というラジコンの標的機になるという屈辱的なものだった。軍用機の末路としては良くあることであり自衛隊としては当然の運用なのだろうが、ファンとしては切ないものだった。ましてQF-104に改造されたのが自分の乗機だったパイロットや整備員はどういう思いだったろうか?。
F-4やF14,F15など双発の戦闘機を車に例えるならスポーツセダンだろう、対してF-104は軽量なスポーツカーである。私は軍用機ファンであるが、そのウェポンシステムには興味がない、破壊のための道具なので矛盾した見方なのは承知である。私はその天駆ける能力に魅了されるのだ、人類が創り上げた神がかりの乗り物である、例え平和な世の中になっても存在して欲しいと思うのは私だけだろうか?。
F-104は飛行機の「飛ぶ」という本分に最も徹した機体である、そのことはカモメのジョナサンやアホウドリのようにイメージされるのだ。 そして驚くのはこの飛行機が1950年代に生まれたことだ、その斬新さは50年を経た今でも切れ味がある。1590Kmの低高度のレコードは当分破られないだろう、F-104はレコードホルダーであって欲しい、そう思うのは私だけではないだろう、低空のスピード記録はF-104にこそ最も相応しい。
軍用機としては全機退役しているが、民間人!の飛行チームがフライアブルな状態にあり、なんとNF-104のようにNASAの依頼でブースターをつけて高高度の各種実験を請負うという話を聞いた、50年前の飛行機が、、、これは前代未聞のことである、F-104がいかにパイロットやファンから愛され、そしていまだにハイジャンプへ挑戦するF-104という飛行機は、やはり見てくれに違わぬ天才だったのだ。
Forever StarFighter!! そして今風に 永遠なれ04
執筆者: kazama
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