JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
実際は横田基地でのモトクロスコース下見のとき、コース脇のB29-D(B50)。
機内に乗り込むとススで真っ黒、事故機を消化訓練機に転用したらしい。
小学生のころ、B29をパワーアップした、横田の気象観測用のWB-50が毎日のように、西へ飛んでいった。
偏西風の強い日は向かい風で、白いジュラルミンの機体が、止まってるように見えた。盆地上空にいつまでも四発レシプロの音が重苦しかった。
B29は18気筒54リッターのピストンエンジンが四基、合計72気筒、21万CCのハーモニーである。 今の時勢ではレシプロ4発という機体は皆無であり、それはいまのターボプロップの音よりずっと重低音である。
たった一機でも盆地を覆い尽くすような重い音が、何百と押し寄せた戦時中はどんなだったろう。 甲府も7月7日の深夜から8日にかけて空襲を受け、数時間のうちに街は壊滅し千名を超える死者がでた。 当時小学生だった兄は西の山の空が赤く染まり、130機と言われるB29の唸りを覚えているという。
そして3月10日の夜は、東京の木造家屋の延焼を狙った猛爆で10万ともいわれる死者を出したB29。 そのジュラルミンの肌を、10万の生命の劫火で赤く染めた、鬼気迫る夜が現実にあったことに胸がしめつけられる。
そしてそれが天災ではなく人為的なものであり、周到な準備と修練と、団結と忍耐と、そしてまた誠意と---技術と人間の能力を集結した、その最終的なアウトプットであり結実であるということが虚しい。
犠牲者のご冥福をお祈りいたします
執筆者: kazama
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