JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
大阪の友人から額入りのイラストが届いた。昨年は私がグラマンのファンなのでF6Fヘルキャットだった。今年はなんだろうと思ったらダグラスDC-3輸送機だった。
ソリを履いているのは山梨が豪雪の孤立で話題になったからか、あるいは昔北極で乗りそこねたことへの皮肉なのか---
1987の、いつしか昔になってしまった4月のこと。
弟がチャレンジした、バイクによる北極点到達の支援のため、航空機による補給を行った。
ブラッドレイ、エアサービスという極地の貨物輸送会社があって、DH,ツインオッター機が主力だった。
何故か忘れたが大量の燃料を運ぶことになって、機体の折り合いがつかずスペアマシン的存在のDC-3で行こうということになった。
飛行場で存在を見ていたが、まさか大古機DC-3に乗れるとは---嬉しさから、こぼれる笑顔を隠すのに必死だった。
南米の観光でアンデス超えをDC3でするイベントは知っていたが、それとはワケがちがう。
こっちは輸送機で燃料輸送というれっきとした仕事だから無料だしカッコがつく。しかもコクピットに座ってるだけでいいという(もっとも何も出来ないが)、およそこれ以上の役得はない。
時間になりワクワクしてバラック然とした事務所に行くと、DC-3がトラブルらしくメカニックが渋い顔をしていた。電気系統らしいが結論がでるまで機体の細部を見てあるいた。
驚いたのはその古色蒼然ぶり---コクピットはアナログメーターがぎっしり、プリント配線なんてまだ無い時代である。空冷星形エンジンナセルの後ろあたりの電気配線がゴチャゴチャ、リンクやロッドが複雑に絡み合い、あたかもナウシカに出てくる有機物の飛行体みたいな雰囲気にクラクラした。
DC-3は空のジープみたいな存在で簡素な構造を連想していたが、やはり飛行機となるとわけが違う。
結局はDC-3の飛行は中止になった。旧いクルマのエンストなら止まるだけだからまだしも、これだけ旧いメカで空を飛ばすことの大変さが肌にしみた。
そしてここは北緯80度を越えた極地、飛び上がったら360度の大氷原という悪条件である。
代替機はHS748という、YS11にそっくりなターボプロップ機になった。普段ならそれでも嬉しい仕事だったが、イケメンのパイロット二人の間に入って、ヘッドホンから聞こえる世間話の訳も分からず、ニコニコしてるしかなかった。
そうしてDC-3による貨物輸送という唯一無二の機会は永遠に失われた。
これは昨年もらったF6Fヘルキャット艦上戦闘機。
にっくき仇敵ながら私はこのタフなフォルムが大好きで、これは日本機にはない魅力である。
こうして描かれると愛嬌たっぷりで化け猫じゃなく愛猫になる。
デフォルムは描く人がそれをどう捉えているかということになりセンスを問われる。
そして質感はメカを知っているかどうか、、、エキゾーストの汚れ具合、リベットによる外板の波打ちまで見える気がする、それがマシンとしてのセクシーさを醸し出す
執筆者: kazama
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