2024年07月10日 14時44分 | カテゴリー: 自然
cloud IN cloud 雲の意匠
雲に意匠なんて あるはずもない
自分がww雲であることすら知らない
主体も何もないものが 何かの啓示のように見える
陽光の翳りの雲 その心は、、
ちぎれ雲
7月9日の日没まえから盆地東部に厚く異様な雲が発生した
日没後 甲斐駒が岳をすっぽり包んだ雲
永遠が見える
そう呟いてみたい この世のこれが至高の言葉
かぎりなく山へ登ったのも そんな心持になりたかったからだ
5月の晴れた朝 今はない菜畠のうえに 高い雲が見えていた
哀しいほど高い空 それは命の限りをこえた永遠に見えた
華やいだ 桜も桃もおわり
新緑の輝きも もうすぐ終わる
また来る春も あるものを。。
ここでそれを想うのは 息が切れる
この春の夕暮れに これが春愁かと想う
お気に入りの ここから見上げる尾根のうえに。。
あそこに行けば 雲はまた 遥かな高みに遠ざかる
obscured by clouds :雲の影 というPフロイドの曲があった
この山並みへの茫洋とした雲の影。。無機ゆえの美
新緑の帯が 日々山を這い上がってゆく
のどか を絵にしたような 萌え木の山のうえに。。
高地の畑のうえに はたらく軽トラ
蜂城山から降りてきて 坂の上に雲が浮いていた
海老名からの帰りの夕刻に 座間の畑から見通せる
秩父の山なみの上に 今日の終わりを告げる
伊勢原へ向かう山道の 名も知らぬ山の横に浮かんでいた
桃畑の後ろの 萌え木の山の上に。。
小山城の桜の上にあった雲
竜塚古墳へ向かう道の その先に浮いていた雲
お気に入りの穴場から見上げる稜線の上の雲
あそこに上がれば雲に届きそうな気がするが
昇ったら空は再びはるかな高みに遠ざかる
空という到達点はないのだ
それは何かに似ていて 普遍的な事に想える
蜂城山への参道で飛行機雲が西へ行った
頂上に着くと その崩れた雲になって東へ。。
普通の雲と違い なんかパルスがあるような
北岳の上に真っ白な雲 盆地を横切って大菩薩を超える?
曇は固有な存在なのか? あそこの大気がああなるだけ?
このことは存在論の範疇なんだろうか(。は付けずに置こう)
芽吹きを待つ 冬枯れの稜線 その上の雲
あそこへ行きたいと想うけれど 雲はまた高い空へ
西空の この寒々しい ちぎれ雲
意思も 主体さえない この寂しさ
この強いメッセージ性の その源は?
五世紀の竜塚古墳 空を行く雲
能登へ 希望の大鳥
西空に妖艶な雲 清姫の帯。。
荒ぶる自然 その安寧の吉兆と想いたい
造形でもデザインにも非ず 無為の形状をどう解釈するのか
光るのは西へ行くエアラインの航空機
間地かに見下ろす この雲の奇怪さや如何に。。
なんなのかねぇ この意味深な
いやらしい造形 なんの意図があって‥
とまぁこんなふうに見てしまう
『意味』とはなんぞや‥ 意味って人間だけの性
雲に限らず自然には、いや宇宙に目的も意味もない
巨大な虚無の空間の中で 懸命に意味や意義を求め
私たちは生きている 少年のように