JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
冬の日本海になぜ惹かれるのか
旅人目線にいくばくかの罪悪感を感じつつも
重量感に満ちた海と空が 魂に呼びかけてくる
この災害からの 能登の日常の復活に 神のご加護を
むかしの歌に、降りしきる雪が空を染め、
海につもり波を凍らせる、という一節があった
その歌は自然賛歌ではなかったけれど、私はその一節に魅了された。
海に降る雪というイメージは考えたこともなく、意表をつくものだった。多分に心象風景的ではあるが、私はそのイメージに強く惹かれ、
海に降る雪を求め、冬の日本海へランクルを走らせた。
夜どうし車を走らせ、糸魚川から左折し、黒部川を渡ると富山に来たことを実感する。能登半島に入り、先端をめざして走る。いきかう車はほとんどなく、ちいさな峠に差しかかると雪が降ってきた。ヘッドランプに浮かぶ雪はあとからあとから際限なく落ちてくる。外は見知らぬ土地の深夜である、独りよがりの幸福感に浸るのはこういうときだ。
その日一日、灰色の空と海がおりなす重厚な風景に圧倒され、海岸線の写真を夢中になって撮った。あっというまに夕闇がせまり、今夜の寝場所を探さねばならない、昨夜からろくに寝ていないこともあり、布団でゆっくり眠りたかった。
何もない海岸を走り続けると、道は断崖に遮られ。そこは狭い入江になっていて、ほとんど暗くなりかけた海に、押し寄せる波頭の白さだけが見えた。波から守り合い、寄り添うようにして家々が集まり、その明りがポツリポツリと灯っていた。どの家の軒先にも風避けのスダレが立てかけてあり、西風の激しさを物語っている。
ふと、消えかけた民宿の看板が目についた。私はここに泊めてもらおうと、その家に向かった。営業しているとは考えられない雰囲気に戸を開けるのがためらわれた。戸をあけると意外にもそこは台所であり、この家の主人とおぼしき人が立っていた。その帽子をかぶった後ろ姿はちょうど一升瓶を傾け、茶碗の酒を飲もうとしている所だった。仕事を終え、座り込む前なのだろう、私は「 しまった 」と思ったが、もう引っ込みがつかない、「 泊めてもらえるんですか?」と聞いてみた。漁師風のその人は振り向いただけで「 今はやってないよ 」と答えた。今はという意味が、この季節は、ということなのか、それとも、もう民宿は止めたということなのかは判らないが、それは当然のことのように思われ、そんなことを聞いてしまった自分が恥ずかしく思えた。
私は暗くなった海岸へ戻った。海はゴウゴウと鳴り、依然として白い波頭がおしよせていた。私は途方にくれてしまった。それは泊る所がない、ということではない。___この北陸の海岸に何処へというあてのないまま一人立つ私。さっきの漁師風の男の後ろ姿には、この土地で生きることの重みがみえていた、そこへこの厳冬期に泊めてくれと訪れた私、あの人は私をどう思ったろうか?。あの家で拒否され、憧れていたこの土地から拒否されたかの様な疎外感に、途方にくれてしまったのである。
( 猿山灯台 )
しかしそこまでの山道は案外遠かった。もうかなりの高さまで上がり、灯台まで僅かと思われる辺りで、その道はいきなり無くなった。車がターン出来るぐらいのスペースがあり、その先は断崖になっていた。いったい海面までどれぐらいの高さなのか分からないが、その黒い海を覗きこむ気にはなれなかった。夜空と海の境は判然としないが、この目の前の黒さが総て海であることは間違いない。
その場所は娑婆捨峠と名付けられていた。峠といってもこの先に道が有る訳でもなく、ただ茫漠たる日本海があるだけである。娑婆と冥界との境とでも言いたいのだろうか、ずいぶん意味深な名前をつけたものだ。 さて、ここで寝るとなるといささか心細い、考え込んでいると灯台の光芒がすぐ近くから、闇を切り裂いて、はるか遠くまで届いていく。どこまで届いているのだろうか。この光は人の世の暖かさであり、沖をゆく船にとってそれは航法上の必要性以上のものがあるだろう。 海の守護神の近くで眠るのだと思うと心強く、シュラフの中で耳を澄ますと、数百メートル下の海から波の音が届いてくる、 やがてその音は故郷の山の風の音に重なり、私は眠りに落ちていった。
( ヘッドライト )
…ふと目をさますとまだ午前二時ごろである。いったん目を覚ますと、その後の睡眠は、細切れになりなかなか熟睡は出来ない。私は眠れないまま外を見ていた。ふと、光るものがあった、船だろうか、だがそれは位置的に陸上の光であり、どうやら車らしい。そしてこの峠への道を上がって来るようだ。今は午前二時という時間である、いったい何の用があってこの袋小路へ上がって来るのだろうか?。まず考えられのはアベックである、ここへ来る目的はひとつ、私がここにいてはまずい。しかしここはうら淋しい断崖の上、しかもこの時間である、アベックがこの無気味な場所を選ぶだろうか?。 私は山のテントで不気味な妄想に囚われたとき。そこから逃れる方法として、さらに怖い想像をする、すると想像には限界があり、妄想から逃れられることがある。私はこの場所と、この時間にふさわしいもっとも恐ろしい想像をした。
ここへ上がってくる車のトランクには死体がある、真冬の午前二時、娑婆捨峠の断崖に人がいよう筈がない。この断崖から、無念の骸は音もなく夜の海へ吸いこまれていく…。皆さんは私の現実離れした想像を笑うだろう、確かに普段ならそんな想像はしない、しかし人里はなれた山の中、深い夜の闇に包まれ、そして動物のように過敏になった五感は、普段なら見えない物まで見てしまうのだ。
そして想像ではないヘッドライトはここへ来ようとしている、私が居るのを知ったら、どうするだろう?。私はあのヘッドライトがここまで来る前に、私の存在を知らせておいた方がいいと思い始めた。私の位置から谷を隔てたカーブを曲がり、車がこちらを向いたのを見計らって私はヘッドライトを点けた、距離は三百メートル程あるが、向こうからも見える筈である。___果たしてヘッドライトの動きは止まった。三百メートルの距離を挟んで正体不明の怪しいもの同士が探りあった。やがてそのヘッドライトはUターンし、下っていった。ホッとはしたがその行動は実に無気味だった。もっとも相手にしてみても、お互いさまであったろう。むかい合ったあの数秒間、顔の見えない同士は、猜疑心という糸で、確かに結ばれていた。
もう一眠りしようとシュラフにもぐり込む、相変わらず灯台の光芒は規則正しい周期で沖を照らしている。人間の行動の不純さ、薄気味悪さに比べて何というけなげさ、何という誠実さであろうか。
次に目覚めたのは5時前だった。まだ夜明けまでは間があり、もうしばらくの辛抱と思ったら右の窓に赤い光が見える、なにか車内のあかりが映っているのかと思ったが、そうではない。見覚えのあるその明滅のしかた、それはタバコの火に違いなかった。いつのまにか何者かが、すぐ近くまで来て、私の様子を見ているのだ。それは尋常な行為ではない、いったい何が目的なのか?落ち着きはらってタバコを吸っているらしいのは無気味である。それは二時ごろのUターンした車と結びついた。いつの間にか戻ってきたあの車は、やはりただのアベックではなかったのだ。私は目覚めているのをさとられない様にして武器を探した、木刀ぐらい用心で積んどけばいいのだと思った。ジャッキの棒を手にしたいが音もなく取れそうにない。このまま息詰まる時間が続くのはたまらない、私は思い切って勢い良く窓を開け、声を掛けた、「 どうかしましたか?」___。
タバコの火が地面に落ちた。しばらくして「…釣りなんだよね、早すぎた 」という声が返ってきた。
…なんとまあ、殺人者の正体は釣り人だったのだ。またアホな取り越し苦労をしてしまった自分の臆病さにあきれた。
それにしても釣りというのは何と酔狂な趣味であろうか?、灯台の先から海面まで降りていくという、足元のヤバイ所もあるのだろうに。薄明るくなった中、釣り人は出掛けていった。
私は猿山灯台への断崖に立ち、明るくなっていく日本海を眺めた。
水平線の果ては、曇り空と見分けがつかない。風もなく静かな海である。
断崖に心細くつけられた灯台へ続く道があって、鉛色の海が一望できた。
桜の並木があり,沖をゆく船人を慰めるために植えられたのだという。
春の晴れた日は、さぞかしのどかだろうと思う。
そんな様子を思い浮かべていると、また雪が降ってきた。
そのなかを岬の最高地点である猿山の頂上まで歩く
雑木林のなかの道はたちまち白くなってくる
その道の向こうには海が見えている、雪はあとからあとから落ちて来る。
あの海の上にも雪は降っているのだろうか___。
こんなシンとした静かな日には 昔からこの日本海には雪が降るのだ。
私は「 しみるなあ 」とつぶやいた それはどこかで聞いた言葉だけれど
この情景に、それ以外の言葉はないように思われた。
押絵はイラストレーターの鵜沼一郎氏のものです
執筆者: kazama
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