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2014年01月12日 20時04分 | カテゴリー: 自然

   惑星ソラリス...情念の海

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なにかを嘆くような日本海には、情念という言葉がふさわしい


   関東から夜じゅう走り続け、越前海岸近くの小さい峠に着いた。

さすがに眠くなり、登りきる手前で仮眠した。目覚めると雪はやんでいて、夜明けの海の光景に期待して峠を越えた。

   登りきるといきなり予想を遥かに越える範囲で、目の前すべてが、まだ暗い海だった。

船は1隻も見えず、白波が見渡す限り水平線の彼方まで続いていた。

膨大な水と、風と波だけの世界、それが遥か朝鮮半島やロシアまでも続いている。

この暗い海と対峙しているのは私ひとり、その寂寞たる広大さは、正視できないような、

ある意志を持って私に迫ってくるように思われた。それは風景という概念を越え、

花鳥風月といった鑑賞眼など受付けない、荒削りな自然の姿だった。

   惑星ソラリスというロシア映画があった。タルコフスキーという難解な作品を作る監督の作品だった。

ソラリスという惑星の海は人間の脳の潜在意識を合成し、幻覚を起こさせる液体で出来ている。

そこを訪れた宇宙飛行士の前に、かって自殺した妻が現れる、彼は幻覚であることを知りつつも彼女との再会にとらわれ、悩む。

やがて訪れる帰還の時、彼女との哀切なる永遠の別れ、遠ざかるソラリスの有機体のような海.....

   ...タルコフスキーの他の作品でも、水というものに対する描き方に他と違うものを感じた。

この映画はバッハのコラール前奏曲を使っていて、いらいこの音楽は私にはソラリスのイメージになってしまった。音楽家の富田勲も、コラール前奏曲を電子音楽としてリメイクし「ソラリスの海」として発表している。

   ロシア人にとっての海は、どうイメージされているのだろうか、日本海やオホーツクでさえロシアにとって東の海ということになる。ましてベーリング海や北極海などの北の海を、どう捉えているのだろうか。

私はマーラーやドストエフスキーなど、ロシア人の創作するものを好む。フィギアスケートのエフゲニー、プルシェンコのニコリともしない重厚な演技はそれに通ずるものがあった。

ロシア人の感性は凍てつく大地がベースになっていて、それがアートの世界に深みをもたらしているのだろう。

   私たちは箱庭的な、恵まれた風土が生んだ花鳥風月という感性に、感謝しなければならない。

執筆者: kazama

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