JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
ジープのセルモータを意気込んで交換したのが祟ったのか体調を崩し4日目になる。
4月末の満月に近くの山にテント泊のつもりだった。もうそんなに寒くなく冬木立のうちに行きたい山だったがラストチャンスを逃がしてしまった。
山は単独テントが9割でテント場などではないから夜の深さを感ずるにはこれ以上の条件はない。不気味さはあるが何も起こらないことを数百回繰り返してきたからさすがに慣れてきた。
ところが直近になって久々に新たなイメージの仕入れをしてしまったから怖くなった。
( パノラマ島奇譚 )
そういう江戸川乱歩の怪奇小説をなんの気なしに読んだのだが、その中の一場面が妙にまとわりついてしまったのだ
…売れない物書きの人見康介は、世間への諦観から、妄想のみで行動しない性癖が私と似ている(笑)たぶんそれは乱歩自身の事でもあるだろう。
人見はこの世に自分と瓜二つの同級生、大富豪の跡取りの訃報を聞く。無人島でのユートピア構築を夢見ていたこの男は、不遜にもこれを千載一遇のチャンスとし、自分が大富豪の息子に成りすまそうと計画をめぐらす。
死因は癲癇の発作で、その確たる死因の特定が難しいことから蘇生したことにしようと遺書を書き自分の自殺を偽装。潜伏したのち土葬から7夜目に墓を掘り返す
…棺を開けると白い経帷子(きょうかたびら)の上の顔はほの暗く、蘇生し見られているような気になる。歯並びの特異を確かめようと手で探ると奥歯まで露出し、般若のように口が耳元まで開いていた。心肺が停止して、断末魔にこの世の酸素を求めて全ての細胞があがき…その凄まじい形相に心底凍りつく。指の間から皮膚が崩れ落ちそうになる遺体の経帷子を脱がし、両手の指から三本の指輪を抜く…
その夜の墓場での凄惨という表現では足らない行為と、その死者の様相にぞっとした。それは克服したかと思っていた私の死そのものへの恐怖を蘇らせ、夜中にトイレに起きるのも怖くなるほどだった。
蘇生工作に成功したものの、跡取の妻が時おり見せる疑惑の視線を恐れ、彼女に惹かれつつも接触を断つ。
彼の壮大な海の理想郷は進むにつれ陰惨な美とグロテスクを帯びてゆく。ことに海底の描写は遥かな生命のルーツという無視できない気味悪さに満ちて、そもそも他の生命を糧として生きるということの持つ本来のグロテスクさを存分に描いている。美というものはそのグロテスクさと表裏一体のものであるという人見の観念はたぶん江戸川乱歩自身のものであり、そしてそれに共鳴する私のものでもある。
日本人の求める理想の美とは、そこから生態系のような複雑なグロテスクの要素を極力排除しているように思える。油絵の量感より、余白と繊細な線で描く日本画。壮大で重厚なオルガンの教会音楽に対して、量感を排除した浮遊感と透明感の雅楽との比較などからそう見える。
読んでみてふと浮かんだのが宮崎駿の「天空の城ラピュタ」である。
青い空に浮かぶ空中の庭園は、その海底の生命の源というグロテスクを回避したもののように思え、その結末のカスタトロフィも共通する。もしや宮崎駿も、この怪奇物語の古典に触れて戦慄を感じたのかと思った。
( 山の夜 )
久々のテント泊の夜に、そのイメージが迫ってきたらゾッとするだろうと怖気付いた。しかし大の大人がそれで中止するというのはいかにも不甲斐ない。そう思っていたらこの有様の体調で、残念な気持ちと同時に内心ホッとした
以前もそんなことがあり南アルプスの遠山川から唐松山を経て大沢岳へ半壊した避難小屋泊まりの計画を立てた。ただでさえ壊れかけの避難小屋は気味悪いだろうと思っていたところへ、行く数日前の夜に例の『リング』を見てしまって
『うわぁ参った、万事休す』ぐらいに思った。あれの「功績」はこれまで日常的で怖くもなかったテレビ(ブラウン管時代の)やらカーテンの後ろに誰か潜んでいるのではないか、のように日常生活の部屋にまでも戦慄と神秘をもちこんだことにおいて画期的であった。
しかしいくら定評の「リング」を見たからと言ってそれを理由に止めるのはいかにも意気地ない。と自分に言い聞かせていたら天の恵みか大雨が降って正当なる中止の口実ができ、このときは心底ホッとした。
多くの方々は嫌ならなにも口実がなくても中止すればいいのにと思われるだろうが、この辺りは山の複雑なところで、趣味とはいえあれだけの「苦行」をするからには、ある覚悟めいたものも必要であって体調以外の理由となれば冠婚葬祭ぐらいである。まして「リングを見たから」などという理由で止めるわけに行かない。
しかしその強迫観念ばかりかというと、それでも繰り返し怖い山の夜へ向かうのはやはりそれを超えた魅力があるのだろう、それは夜の神秘性。グロテスクが美の裏側にあるように、夜の山の怖さはその神秘性や限りない静寂の一部でありスパイスではないだろうか。怖さを感じない人はそのぶん神秘性も薄れ、その長い夜から解放される夜明けの嬉しさも少ないのではないか。
そんな論理から私は夜の恐怖を山の魅力として肯定的に捉えている。
( お坊山へ 下見登山 )
中止はしたもののGWの好天に寝込むのは癪であり却って腰痛がおきたりもする。
思い切って日帰りで次回天泊適地の下見をすれば気がまぎれるだろう。前回は米沢山の北西稜にある207鉄塔の巡視路を利用させてもらい、おまけに208鉄塔のある雁が腹摺山の北稜を降りた。どうせなら206鉄塔に行きたいものだと思ったら大鹿峠までの路がすぐ近くを通っているようだ。
アプローチを出来るだけ短縮したいと思いバイクで行ったが車道からものの50m程で階段とゲートになった。
目的の206鉄塔は峠への路からものの30m程北方に傲然と建っていた。
206鉄塔から北方の山に205鉄塔。どこまで続くよ鉄塔は。。
大鹿峠へは昔上がっているがその当時鉄塔などに興味はなかったのだろう、わたしの中でも鉄塔好きの息子が読んでいた「鉄塔武蔵野線」から趣味というものの真髄を見たことは大きかった。
登るにつれ右手に米沢山北西稜やトクモリ北稜(共に仮称)が屹立し、たぶん未踏であろうその踏破が気の遠くなる難儀であろうことが想像される。
米沢山からの北西稜にはるか207鉄塔が見える
見上げるお坊山はかなりの傾斜
大鹿峠からは南へ急斜面を40分強でお坊山の稜線にでた、右へ僅かで西峰の頂上。
そこから西へ急降下してトクモリ、米沢山を経て雁が腹摺山への複雑に屈曲しアップダウンする稜線になる。
僅か4日前に訪れた207鉄塔から米沢山、208鉄塔がすでに過去のあの日の懐かしさとして見える。
この4日間で驚くほど新緑が進み、山は輝くような時期を迎えた。
( お坊山北面 彫りの深い複雑な谷と尾根は尽きぬ魅力がある )
お坊山はこれで4回目の登山になるが前回訪れたときは未だ実家の父母が健在で、ここから実家の方向を東方礼拝のような想いで眺めた。今はその方向に父母はいない、親の存在の有無はふるさとの景色の見え方をかように変える。
その時は笹子峠からの往復で雪があったから日の短い季節で帰りはヘッドランプを点けた、細かいアップダウンが予想外の手間をかけた記憶がある。
三度のうちの一度は南面の沢からだが、どこの辺りに登り付いたか記憶がない。難易度も忘れたがムカデの大量発生した秋で沢の水たまりの底には幼虫が溜まるほど一杯だったこと、一回はザイルを使ったことからそんな滝があったのだろう。たぶん下降は東峰からの尾根をつかった筈だが後半になって大変な急傾斜で秋のこと故やはりヘッドランプを出した記憶がある。沢から登った山というのは尾根を登るのと違って陰惨な箇所もあったりして山の内臓に触れる気がする。胎内という例えも近い感じで、尾根が外面をなぞることに対して沢を登ることはその山との淫行関係のようで、それ故その山との距離感も近いものがある。
またこの山は生家からいつも見ていたこともあり、あの山の向こうには。。のような想いがあった。
西峰と東方の間に朽ちたベンチがあった。そこから小金沢連嶺南部が見える
そこを息子と高校入学記念に共に歩いたのは15年を経た春
月を見るなら東峰がいいだろう、と思っていたが、案外適地が少ないようだ。まあ一人用の90cm幅ならどうにかなる、テントは小さい方が場所の選択肢が広がる。
お坊山に寐る、なんていう他愛もないことが、ついあと回しになって未だ実現していない。
残り時間が限られてきたいま、私がほんとうにしたいことはもはや穂高でも剣でも、一瞬は思ったバットレス四尾根でもない。
ふるさとの山の木立のなかで月を見ることがいちばん価値があることのように思う。
執筆者: kazama
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