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by : DIGIHOUND L.L.C.

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Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN

2018年05月27日 20時03分 | カテゴリー: 登山

無名山稜を歩く

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(中央が無名山稜末端。道路から左上し取りついた。背後は京戸山山系)

勝沼を過ぎ笹子へ向かう甲州街道の左の山稜がいつも気になっていた


深沢を隔て隣の尾根には山梨百名山の甲州高尾山を経て棚横手山があり人気がある。

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この山稜は大菩薩から派生する日川尾根に接続するまで名だたる山がなく(日川尾根じたいがすでに地味の極み)登る人はまずいない。

見通しが効く冬枯れのうちに歩こうと思ったが、とうとう緑が濃くなってしまった。

( 5/12 試登 )

先ずはこの尾根上が歩ける状態なのかどうか試登する必要がある。

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できれば尾根の末端からと思い、バイクで探したら古い祠があり上に金網が見えた。登ると柏尾発電所の送水管が降りてきているのでそれに沿って登り始める。15分ほどで取水堰に出る、そこまでの水路が半地下で山腹を通っているが大正時代の建造というこのインフラが当時の手作業で行われたことに驚く。

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(導水管設置の平地と思われる、取水口まで探索したい)

発電所施設から先の尾根は適当な獣道の登り口を探したが、案外に藪がなく順調に高度を稼ぐ。

さしたる難所もなく、また展望もない登りが終わり、大きなピークで遅い昼食を食べた。

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(中央ピークが試登の到達点)

そこから先に下るとアップダウンが始まり、どうやら歩けそうな見通しなので次回に完登を目指すことにする。

下りとなると案外わかりずらく深沢寄りの支稜に引き込まれそうになった。

バイクに戻り対岸の林道から尾根の続きの様相を撮影し概要を掴んでおくことにした。

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(ルートを探しながらの登山はバイクの機動性が不可欠)

( 5/19 作戦変更 )

後半は作戦を変更し終点となる1116m峰に先ず登り、そこから西に前回の到達点を目指すことにした。

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(左端が1116峰。右の谷に降り再度西上する)

問題なのは1116峰までの登路探し。バイクでつい上まで稼ぎたくなり林道をずるずると終点までいった。

そこは谷のドン詰まりで急な尾根がある。この尾根を試登するが落葉で滑るし獣道さえない。

諦めて再度人里まで下り地道に探す、古い神社があり往々にしてその裏手から山に入っていくことがある。獣柵をくぐるとなんとなく尾根状になり、踏みあとは全くないが集約する登りは単純、藪もないから遮二無二登る。

一時間弱で頭上を抑えられる圧迫感で岩交じり、岩峰だったら撤退かとおもったらなんと古いロープ

「いったい何のために」奥の院なのか作業用なのか、、用心しながら使わせてもらい岩峰上にでた。

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そこからは前回登ったお坊山から雁が腹摺山が一望できる、その彫りの深い山容は惚れ惚れする。たぶん私の中で10指に入る魅力ある山塊である。

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前回登った米沢山北西稜

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お坊山山塊でいちばん急峻なトクモリ北稜(仮称)影の部分

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(北稜の核心部の大ギャップ、おそらく未踏。いつかと思ったが諦めた)

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そこから1116峰までは俄然尾根が痩せてくる。油断しないように10分ほどでピークにでた。

西へ急降下する尾根が目指す支稜であるが急峻な模様。この未知な尾根を往復するにはもう時間がない、深いギャップに阻まれるかもしれない。今日は1116峰までのルートを掴めたことで善しとし、踏破は次回とする。

 下降にかかりGPSの軌跡を引いてなかったことに気が付いた。

こういう山登りのとき近年はGPS頼みで、そのぶん細心の注意がおろそかになる傾向がある。しかし、ひとえにその恩恵は軌跡を辿れば戻れるということに尽き、ルートのガイドをしてくれるわけではない。

そんな雑な感覚で登ってきて、さあ下降という段階、そんな複雑ではなかったし深い谷もないはずである。

2か所ばかりいくらか考えた末、確信をもって選択した積りが覚えのない藪にでた。全く間違えた自覚はないのに(当たり前だが)このありさま。

単純な往復といっても登りは斜面に正対し見易いが、下りは斜面に沿って見えずらく事象を見落とし勝ちになる。さらに午前中と帰りの夕暮れ時となれば光線状態も違う。

いちばん注意が必要なのは尾根が合流するときで、自分がどの尾根から来たか振り返って確認しておくことが大切になる。

もちろん登山道でも同じでとくにバリエーション的ルートでは本道に合流する地点をよく覚えておくこと、必ず振り返ってどのように見えるか視認しておくことである。

一般登山道がある山で路を失う登山者がいるのはどういうことなのか理解を苦しむ。おそらくそんな配慮は考えもしないのだろう。往復となれば知った道と思いがちだが後ろを見ながら歩いている訳ではない。帰りには見たこともない景色というわけである。

 そういう私も間違えたわけだが藪のむこうに高い尾根がみえて、たぶん一本となりの尾根なのだろう。

果たして見たこともない畑に出て、獣除け柵から出られない悪夢がよぎったが何とかなり30分程のタイムロスでバイクに戻った。

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(迷った尾根で拾った雄キジの羽)

( 5/24 )

いよいよ無名山稜のトレースがつながる日、本来なら2日で完結する距離ではあるが1116峰への南尾根は歩けたし模索のロスは仕方ないだろう。初回の山稜を通して歩く発電所経由とも思ったが、前回の下降を何処でミスしたか興味深いので1116峰経由にした。

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前回の下降のGPS軌跡があるから今回の登りの軌跡とが合流した地点がミスの現場となる。

果たして一時間後に軌跡が合流し、ミスが判明した。予測通り尾根が不明瞭に二分し、前回は緩い方の斜面を降りたのだ。今回見ても正規のルートは下りたくない面構えをしている。ここが登山道であればおそらく緩い方が正解だろう、しかし私はきつい斜面を登って来たのだからそこを降りるしかなかったのだ。

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前回降りた尾根。先に行って傾斜が緩く見える

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(本来降りるべき尾根。先が見えず不安感があった。。しかしここを上がってきた、笑)

このミスからの教訓はオリジナルルートを志す人はGPS軌跡が必須。無ければ要所は必ず振り返り確認を怠らないことだろう。

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 まだ薄い霧のなか痩せ尾根を1116峰に着き、いくらかの緊張感のなか西へ急降下する尾根へ踏み出す。

天気は回復基調だし、予期せぬ深いギャップでもない限り5/12のピークには行けるだろう。

アップダウンは概念を頭に入れておいたのと符合するが、左右の屈曲は見えないもので、そのぶん見積もりより余計にかかる。私はいつも見積もりが甘い傾向があり、大概タイムオーバーする。

見積もり能力を高めるには、ひとえに見てくれと体感のギャップを整合しておくことにある。そこで重要なのは歩いたあと、足腰や筋肉に手ごたえが残っているうちに辿ったコースを目視でなぞること。これは成果を確認する楽しさもあるし、少々疲れていても私は欠かさない行為である。そのことによって見てくれと体感アルバイト量の見積もりが近くなってくる。登山道にコースタイムが入っているような山域以外を目指すような篤志家登山者には必要な行為ではないだろうか。そのさい出来るだけ対岸から高度差による仰角を少なくした方が正確になる、深いギャップなど仰角があると埋もれて見えない。

まあこんなことすべてがGPSやらいずれ3D方式が進歩すれば必要ないことにはなるが、そのぶん動物的直観力を失うことになる。その取引関係はなにも山に限ったことではなく、文明そのものの性格といえるが、個人的な、また動物的能力を失い続けることが果たして割に合うことなのかと思う。

 。。心躍るこの未踏の尾根、天候は回復し、輝く新緑のなか、鳥の声だけの静寂。。
ここに居るのは私だけ、私の前にここに人が来たのは何時だったのだろうか。若い時から何度も眺めたあの山稜にいまこうして立っている。。その痺れるような幸福感を踏みしめ、5/12日の三角点に着き、この山稜のトレースが繋がった。

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(ゴールというにはあまりに地味な四等三角点)

人跡まれな。。という言葉があるが、ルートに不安のある時など紙切れやゴミに救われるような時もある。しかしここは全く人の気配がなかった。。というと噓になる。

1116峰を発つ寸前、背後に黒い人影のような気がした。。まさかここに。。ゾッとして振り返る気がしない。どうやら風で木陰が動いたらしい。しかし戦慄を覚えるほどの恐怖だった。普通の山で人がいることが前提ならば心の準備が出来ている。しかしこんな所に人がいるわけがない前提での気配は、心底怖かった。しかしなぜ人がこれほど怖いのか自分でも理由が解らない。それにここは眩いほどの新緑の山である。。

この山稜のなかでいちばん雰囲気のいい岩の上で昼食にした。そのことのぜいたくさ、満ち足りたこの時間と空間。いっとき私のおにぎりやらジュースやらで賑わったこの岩の上は、さながらこの山稜の宮殿とでもいえる。

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(ここが無名山稜のいちばん豪勢な。。宮殿。。)

展望というほどではないが、樹間から日川尾根の三角コンバが見える、ここは私の家から月が上がる方向の山であることからロマンを感じ、何度か登ったことがある、行ってみればなんのことはない、ただの日暮らしが鳴くだけの静寂郷であるが、その拍子抜けにはどこか教えがある。。その変哲のなさも山の良さである。

 いっときの賑わいをザックにしまい、忘れ物がないか振り返る。。岩は再び元の静寂に戻る。何千年、いや何万年ものあいだここにあった岩と、数十年を生きる私の、この宇宙においての一期一会。。そんな大げさでなくても、たぶんここにはもう来ないだろう。。この年になればそう感ずる。

そう思って振り返り立ち去るのも この年齢ならではの情感である。

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執筆者: kazama

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