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2018年09月19日 12時23分 | カテゴリー: 登山

老いの冷や水 八丈バンド

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登山案内所のN嬢から、岳連のA会長が甲斐駒の八丈バンドへ私と同行するとのメールがあった。

八丈バンドというのは甲斐駒の八合目から赤石沢奥壁登攀へのアプローチになっている。

赤石沢を過ぎてからも摩利支天のコルへの不明瞭なルートがあり、古くは修験道のコースだったと言われている。

昨年夏にN嬢が単独の粋人がバンドへ行く旨の登山届を見せてくれ、久々にその存在を思い出し、そそられた。

 赤石沢は家から真正面に見えていて、そのトラバースを出来たらその後の見え方が違うだろう。

バットレスを登攀するレベルのN嬢は行く事になり誘われたがバイトが真っ盛りで行けなかった。

 結果を聞くとやはり後半は不明瞭で懸垂下降をしたという。もしや楽勝かもと思っていたが、懸垂というだけで行く気はなくなった。

そう思っていた矢先に伝わってきたA会長の意向。ありがたいことだし最後のチャンスかもしれない。

勇気を奮ってベテランの確保をしてもらえば行けないことはないだろう。心配なのは日程が確保できるかどうか。。それと浮かんだのは甲斐駒特有の花崗岩が風化した白ザレの外傾した斜面の下降。。。確保する有効なポイントもなく、数メーター滑ればあとは赤石沢の奈落が口を空けている(笑)

 トラバースという動きは中々いやらしいものがあり、沢登りで滝の登攀を避けて高巻きし、却って悪条件に追い込まれたことが何度もある。トラバースでは有効な確保の手立てがない中での微妙な動きはストレスになる。そんなとき勇断をもってシンプルに滝を登らなかった自分を責める。。

 そんな思い出に浸りながらの赤石沢トラバースルートをイメージする。丹沢の沢登りとは比較にならない壮大な壁の威圧感を、絶えず右に感じながら、スッキリした尾根を辿ることのない行動は重苦しい(笑)

唯一のモチベーションは、家から見た甲斐駒の赤石沢が違って見えるだろうことのみである。

そうは言っても行く覚悟を決め、たまたま芦安で一緒になったA会長が、どんだけのやる気なのかを打診してみた。

すると「う~ん」という反応。。もしやと思ったら案の定、私と同じクライマー某氏のネットの写真に引けたらしい。それは靴先の白ザレの斜面がすとんと無くなった先に青黒い奈落が口を空け「尻がムズムズする」と書いてある。。まさにそれが想像していた脅威だった。しかも赤石沢を登攀している人の記述だから信憑性がある。。

若い時ならそれぐらいは押してチャレンジしようが、いい年して二人で落ちたらみっともない。という意見で,あっさりと中止となった。私に異存があるわけもなく、むしろ重苦しい夢から一気に解放された気がした。

A会長の判断を他愛もないと思うだろうか。私はむしろさすがだと思った。しかも「N嬢が登ったのに癪に障るが」という本音をもらしたのは完璧な態度だと言える。永年の経歴とそこから来るプライドを捨てるのは難しいことだからだ。

「諦めるな」という言葉は目標を達成するための核になるものだが、それは若い人に向けての格言であって、老境において諦めない、諦められないことはむしろ不幸につながる。いずれすべてを失うのだから、どうやってそれを諦めるかの方がずっと「前向き」なことではないか。

「振り返るな」とか「前向きに」とかいう言葉も若者への言葉でしかない。残された僅かな未来には「死」が見えて、我が身の後ろには膨大な、辿って来た過去がある。それを慈しみ感謝することこそ人生を肯定することであり前向きな態度と言える。

想うのはこの世には若者に向けての格言は腐るほどあるが、老人に向けてのそれは皆無と言ってよく、あってもまやかし程度の、せせら笑いたくなるものばかりで力にならない。

この事実は人類数千年の歴史のなかで不甲斐なく、何も英知が積みあがってないのはなんとも不思議な事である。

おそらくは老いと死を悟れた人など,有史以来、誰もいなかったのではないか、いれば心に響く言葉を遺してくれた筈ではないか。

それが何故なのか、そのわけはこれから身をもって分かるのかも知れない

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これからずっと 行かなかった赤石沢バンドとして見え続けることになる(笑)

執筆者: kazama

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