JOURNAL SKIN
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2018年09月22日 22時00分 | カテゴリー: 登山

犬越路避難小屋にて

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秋口のいまごろだったか。。

私は西丹沢にある犬越路の避難小屋で寝ていた。

テントと違い、避難小屋は人の気配が漂っていて薄気味悪い

ふと寝息と気配を感じ、周囲を見ると、右隣の寝袋に息子が寝ていた。

「 なんだ来てたのか 」と聞くと寝入りばならしく、バイクで来てゲートが閉まっていたのでそこから歩いてきたという。林道から避難小屋までは結構な距離がある。

 息子は高校に入って原付免許を取ったばかりで,バイクに乗りたい盛りだった。

無目的に乗り回すタイプではないが、以前から家にあって姉も乗った黄色いTY50で伊勢原から山北を経て犬越路への道中で、私が泊まっている避難小屋まで登って来たのだ。

私はゲートにポツンと置いてあるTY50を想い浮かべた。

「 よく来たなあ 」と、ほくほくしたが、口には出さなかった。

眠いらしいから、それ以上言葉も交わさずに、私は息子の寝息に満ち足りた思いだった。

しばらく眠ったろうか、小屋の外は風があって、初秋の乾いた風音がしていた。

私はその風音のなかに、息子の寝息を探した。。寝袋のなかで、息子は隣に居ないのではないかという疑問をもった。

やはり右隣に寝袋はなく、板張りの床があるだけだった。。

私は寝袋の中で、外の風音に耳をすました。。

その乾いた音を息子の寝息に聞いていた自分を想った。。体温のある安息の寝息とは、似ても似つかぬ空虚な風の音。。

それは私の心を吹き抜ける虚しさだけの、まさに虚無感を音にしたようなもので、そしてそれこそが、気圧の差を埋めるだけの風の本質であるように思った。

 しかしその虚無の音が、それを寝息として聴く錯覚を呼び、さらに黄色いTY50をゲートにおいて秋の山道を歩いてきた息子というストーリイまでも作り上げたのだ。。

 どんな美しいものも、どこまでもその根源を辿っていけば虚無という巨大なルーツに到着する。

この世はその虚無の上に危うく載った僅かな世界、それを彩る喜怒哀楽のすべてが認識のなせることであり、それが生物というものの性であり所以なのだとおもう。

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 40年近く家にあったTY50は一昨年の春に、スペアパーツ用の2台とともに処分した。

おりしもの月の夜に、ぽっかり空いた空間が、ジーンという音をたてて嘆いているように思った。

 今になって思うのは、夢の中のことなのに、林道のゲートにTY50を置いて、暮れかかる秋の山道を歩いてきた息子のこと、黄色いタンクのTYがポツンと置いてある姿が、なにより懐かしいこととして、さらに現実に見たいろんなシーンよりずっと美しいものとして私の心に残っている。

そして永年つきあってきたTY50との、それがいちばんの想い出とされるのはおかしなことだ(笑

 その類のことは他にもあって、夢ということのメカニズムのせいではないだろうかと思う。

現実といっても、脳がそれを認識することによって固定される。

事実があってもそれが脳によって認識されなければ無かったと同じ事であり、要は認識がすべてである。

「事実とは認識にすぎない」そして「世界は脳の中にある」と思う。

夢はその事実という「 邪魔 」なものを経ずに、直接脳に認識されるから、純度と鮮烈さが勝るのだと思う

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執筆者: kazama

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