JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
登山バスのバイトも5年目を迎えた
思うのはシーズンインのプレッシャーと
山の晩秋に登山シーズンが終わる わびしさと寂しさのコントラスト
遅い春のまばゆい新緑のなか、雪渓には残雪のある山へ
登山者を送り出すとき今年も始まったなあと思う
やがて来る山の日と、お盆の最盛期の繁忙に追われるうち
3000mの稜線には秋めいた風がやってくる
そして稜線の岳樺の黄葉がはじまり、カラマツの黄葉が降りてくる
9月の秋雨前線の季節が終わると
深い空から落ち葉がきて カサコソと秋を告げる
10月も終わるころ 冷たい雨の上がった朝
3000mの稜線に 白い雪を見たとき
身が引き締まり 信仰じみた 厳かな気分になる
その間およそ四か月ちょっと あっというまに終わりがくる
そして自分も ひとつ年を取る(笑)
60代後半の5年という大切な時間を このバイトに費やした
それがなければ 人けの薄い山へ テントで向かったろう
正直そのことの悔恨が 胸にあまく疼く
それを補ってくれたものは 多くの愛すべき登山者との出合いだった
車の登山者はここから 背後の雲の中は高谷山から夜叉神峠
夜叉神のゲートの方は遠方から深山への通勤のため
野趣な車中泊(笑)現場で寝て、起きればそこが職場
たまに買出しに降りる。。涼しく静かな夜を想像すると羨ましい
夜叉神トンネルを抜けると世界は一変
眼下400mの渓谷から南らしい雄大な山稜
注意深く見ると断崖にレイルが垂れ下がっている
戦前に敷設された森林軌道の痕跡
そのトンネルの痕跡のほか残存する軌道跡は殆ど見られない
40年前の若い頃、観音峡辺りには遺構が見られた
黒部等と比較して、この激しい崩壊は年間4mmという
中央構造帯の造山活動によるものではないか
最盛期のころ賑わっていた広河原ロータリー 奈良田からのバスは女性ドライバー!!
狭く曲がった素掘りの隧道をよくもまあ
三連休の中日、今シーズン最大のピンチを救ってくれたのが
この女性のバスだった
後ろの赤は甲府駅から来た。ここに北沢峠行バスも入る
到着したら折り返し発車まで この素晴らしい待機所で
奈良田行はサマになる気がして撮った お気に入り
北沢峠行南アルプス市営バスの待機所
この日は晴れた終戦記念日。。連絡事項を伝達に行った
子を亡くした過去の話に 感極まって見上げた空
バスも 山も 雲も 黙して語らず。。
そんなとき 夏の白い雲と澄んだ青空ほど 切なく哀しい
始発の芦安駐車場へは未明三時の街を走り抜ける
眠るしじまの時刻はどの日常感覚にも染まっていない異次元
どっぷり過去に浸る このひとときのかけがえのなさ
9月となれば朝が遅くなり バスのあかりが沁みてくる
凡事徹底 責任空間 やってみたかった
それぞれの山に幸あれ 山に向かうバスを見送る この時が好き
始発を送り出してホッとした頃 夜があける
気の早いカツラの黄葉が もう始まる
10月となり 0705の甲府駅発には
6時前の薄暗い雨のなか出かける
雨や霧の日も幽邃かつ壮大な渓谷を一望でき、見逃せない
登るに従い奈良田からのルートが近くなる
しっとりと人影が少ない 秋雨の広河原
落葉濡れる吊橋を渡り野呂川右岸へ
大樺沢へ本格的登山道 10月台風の瀕死体験を回想する
雲が切れ始め 大樺沢上部は雪 その中で見た父の描いた帆掛け船 海の陶酔
回想から覚めた野呂川のたもと 紅葉と、この重厚な空
ここで泊まったことはないが いつかそうしてみたい
再びバスのいる野呂川左岸に渡る
ふと ここを渡ることを切望し 果たせなかった人を想う
どこか遠くから舞ってきたか 吊り橋に。。
広河原登山センター ここからバスが、タクシーが 娑婆へ還る
奈良田へのルートは台風24号被害により通行止めとなった
奈良田の登山者は なぜか物静かで好きだった
今シーズンは一度しか行けなかった奈良田線を見下ろす
奈良田線から見上げる紅葉は見事だった
北沢峠まで25分の南アルプス市営バス 落葉の黄葉が見事
甲斐駒が見える 直近で黒戸八号から赤石沢奥壁アプローチを利用し
摩利支天コルへのトラバースの案が浮かんだ
しかしルートが不明瞭らしく懸垂箇所ありらしい
白ザレのでスリップ。赤石沢へ墜落するシーンが浮かび止めた(笑)
むかし双子山から尾根を直登し鋸に向かった
屈曲する尾根筋の険しさ 土間だった六合石室の夜
第二高点から落石通路のような鹿穴ルンゼを登り傾斜した洞窟(モノクロ写真)
まだクサリは皆無 小ギャップでザイルをだし第一高点へ
穂高の天狗のコルからの岳沢のような角兵沢の長い下降
今となればすべてが美しい 南に鋸があってよかった
野呂川の谷 15年ほど前 扇沢から小太郎山へ登るプランを立てた
前日の雨で増水した野呂川の渡渉が出来ず引き返した
体調が悪く気が進まなかったからホッとした(笑)
野呂川を渡ったらもしや帰れない そんな気もし、三途の川に思えた
あのとき渡ったら ホントにそうなったかもしれない程の体調
なぜそんな時、行ったのだろうか 山の魔性としか言えない
帰り着いて寝込み そのまま翌日が消えたような空白が不思議だった
バスの中から 渡渉を迷った地点を どうしても思い出せなかった
黄葉の広河原から甲府行を見送る 新緑にも映えるこのバスが好きだった
シレイ沢辺りからの対岸 奈良田ルートの黄葉
立石あたりから夜叉神西面のカラマツが美しい
振り返る野呂川の谷は青く暮れてゆく
いつも魅了されるのが野呂川に落ちる池山吊尾根
ここには あるき沢ルート以前の登山道があった筈である
秘められた、いにしえの踏みあとはいまもあるだろうか
広河原からいきなり核心部に取り付く北岳の登山道に比べ
池山吊尾根の重厚さは劔で言えば早月尾根
甲斐駒の黒戸尾根にあたり 単に冬季ルートでは勿体ない
昨年に小樺尾根からボーコンの頭に登った夜 私の主目的は神秘の夜に浸ること
夜のはてしない深淵から解放される夜明けの嬉しさがある
ここからはバットレスがまじかに見える
急に思い立ったが力不足で断念した四尾根のせり上がりがセクシーに見える
横からは緩傾斜に見えるがここからは急峻
夜叉神トンネルを抜けると甲府の夜景が見え 世界が変わる
夜叉神発1721で芦安駐車場に着くともう暗い
ここで車の方は降り それぞれの帰路を還る バスは1740発で甲府に向かう
甲府駅に向かうバスの車内は 大半の方が微睡され、淡々としたジーゼル音。。
甲府駅に着くころ およそ2時間をかけてバスは奥山からネオンの街へ。。
「長らくのご乗車おつかれさまでした」
山の想い出を胸に それぞれの日常へ還ってゆく
平凡な日常というものの価値。。それを見直すのが山ではないだろうか
このバスの仕事の仕上げがここにある
見送るこのとき 来年また来ます その言葉がうれしい
役割を終え 車庫へ還るバス おつかれさん
山に雪が降ると登山者は減り 混雑した待合所も閑散とする
それでも 5時15分の始発バスは 山に向かう
夜明けのブルーと バスの青 車内の灯りがほんのりあたたかい
バスを見送った 西空にはまだオリオンがある 山道きをつけて
この日が最後の芦安勤務 繁忙期は道路まで登山者の列
その一人ひとりに、行ってらっしゃいと声をかける
行ってきますと言われるとき、私が娑婆の側の最後の人になる
それは些細なセレモニーであるか、いくばくかの安全につながることを確信する
そんなさわやかで、大切なやりとりができるのが ここのよさ
午後三時便で業務終了 芦安に私物一切を忘れ自家用で取りに来た記念撮影
昭和55年製の三菱JEEP 穴だらけで横はガムテープ(笑)
最終日は非番 前日不調で休んだため
平成最後の登山バスを見届たくなり山に来た 未練たらしい(W)
白鳳渓谷の壮大な眺め 野呂川と荒川が合流した早川の河床まで400m
世に紅葉の名所はあれど これだけ壮大なスケールの風景は他にない
南に流下する早川は富士川となり 駿河湾に至る
ここはほぼ垂直な鉄色の岩盤が遥か下まで
まるでクライミングルートになりそう
そこを軌道を敷設した人間の執念 やがてトラック道になり 定期バスが走る
このオーバーハングは 少なくとも50年は落ちていない
この先のカーブの人は風雨でも終始一貫笑顔の誘導員
昭和40年代 まだダートの野呂川林道のここ
車はプリンス スカイライン2000GTA
北岳日帰り登山の帰りでまだこの明るさ トレランなんてまだない 若かった(笑)
これが現車 たしか横浜5ー20-11 OHC6気筒105Ps/5200rpm
野呂川と荒川が合流し早川の源頭に屹立する滝ノ沢頭山
この山は広河原へのバスの中からの主役 間の岳や北岳より魅力を感ずる
北面の暗い沢に落差300mを超えると思われる三段程の滝がある
最上段は極めて傾斜が強く登攀は不可能ではないか
厳冬期にはアイスクライミングの対象になるというが恐らく下部に限られるだろう
情報もなく 私にとって眠れる獅子という存在だった
友人が大唐松岳に至るまえに執念でここを訪れた その行為に敬服する
今年は右手の鷲の住山を下降し野呂川の河床まで行く暇がなかった
北岳積雪期ルートとしての400mの下降という工程は最初の試練にふさわしい
鷲の住山を回り込むと池山吊尾根と野呂川の谷から早川尾根まで見える
秋はボーコンの頭から唐松を黄色く染めて降りてくる
タクシー乗り場のテントとバス停の標識が撤去され 登山基地の終了を実感する
本来ならば奈良田への16時40分の最終便が行くはずだったが残念
平成最後の15時発甲府行登山バス最終便が山を降りて行く
山から降りてくる霧が 山腹の黄葉を覆ってゆく
いつも1640の最終便で誰もいない広河原を後にし
暮れていく山を去る情感に痺れていた
いつかその中を歩き 山の夕暮れにどっぷり浸りたいと思っていた
しかしもう最終日 今日しかない,病み上がりでふらつくが深沢から歩くことにした
もう吊尾根は霧に隠れ 降り出した雨に笠をさしながら歩いた
鷲の住山への登山口 ここから毎年歩いていたが誰にも会ったことがない
来年はきっと再訪すると決め 後にする
鷲住を過ぎると野呂川と別れ 早川の深い谷が暮れていくのを眺めたかった
しかし濃霧に包まれ想像するのみ
この刻に山を後にするとき特有の 追い立てられる感覚がある
お前たちの居るところではない 早く還れというように。。
もうひとつは ひたひたと自分の足音だけの静寂のなか
誰かが付いてくるような感覚。。
やはりそれは あたたかい家に帰る私への いまだ行方不明の方の想いである
ふと立ち止まり 耳を澄まし 振り返ってしまう自分にぞっとする
しかしまた この感覚ほど暮れる山に居る実感に浸れるものはなく
これこそが山の夕刻の古典的な 本来の気配であることを感ずる
例のカーブに あの誘導員がいた 雨の日も風の日も 彼の笑顔に心が和んだ
やはり今日で終わり 来年もお会いしましょうと言う私の撮影に応じてくれた
彼とは初めて接したが この夕刻の山中で 柔和な人の心のぬくもりが沁みた
オーバーハングのあとのトンネルに入る ふりかえると彼の誘導灯がみえた
ごきげんよう
暮れなずむ 幽玄の鷲の住山
400mの眼下には 早川の河床がほの白い
本来ならばここを 奈良田行の灯りが還ってゆくのを見たかった
広河原発1630の今年度最終タクシーが降りてゆく
北沢峠への今年の運行を終えた南アルプス市営バス
峠からの無線による情報キャッチと
降りて来る台数や人数との連携は業務のポイントだった
里へ降りてよく四台のそれぞれと
お疲れさん また来年と交歓し見送った
バス運行のさい直線と言うポイントで鷲住を回り込んでくる平成最後のバスの灯りを待つ
しかし霧に呑まれ見せてくれず 目前に来た甲府行
その暖かい バスの車内にのせてもらい ホッとする
夜叉神のゲートで停止し 担当者に今年度のお礼をする
やがて甲府の灯りがみえ しみじみ無事に終われた感慨に
車掌さん、若い運転手と共に浸った
翌日はこの最終日の病み上がりの無謀がたたり 寝込んだ(泣)
床から見える澄んだ青空に 山を想った
業務に携わったこの期間は 意識していた定刻になると発車したろうか
今ごろどのあたりを走っているだろうかと 想いをめぐらした
夕刻になると夜叉神から降りてくるバスの灯りがみえないだろうかと思った
登山シーズンのあいだ バスは山の血流だった それが止まったいま
いくばくかの寂しさはある
しかし忘れてはならないのは、それこそが山の真の姿であることだ
最終日に 夕刻のあの林道をひたすら歩いたときの沁みる想い
誰もいない山をみてみたい、決して叶わない 自分さえいない その真のすがたを
あの道をあるいてみてよかったと想う
新田次郎の句だと思ったが あの情景に近いきがする
山見れば 霧攻めあいて 谷見れば
黄葉攻めあい 今日も暮れゆく
執筆者: kazama
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