JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
この黄色いブーツは冬山用プラブーツのローバーチベッタが劣化により割れたので買ったが、その頃から冬山への足は遠くなって未だ足に馴染んでいない。
11月の山の帰りにこのブーツのままジープを運転したが、
前夜のテントを叩く雪交じりの強風で殆ど眠れず、疲労していた。
暗く濡れた下り坂で車が直前に飛び出し、咄嗟の減速を迫られた。そのとき、何故か今踏んでるペタルをそのまま踏んでいいのか一瞬迷った。
踏みかえたつもりが、もしやアクセルではないか、という疑問である。時間的猶予はなく、目視で確認する事ではない。
この刹那の不安感は新たなもので、一瞬我が身の認知症を疑ったが、クルマの運転の新たな、自分自身の怖さを感じた。
(ロードスター)
友人の改造したロードスターに試乗し、一旦停止でブレーキを踏んだら猛然と前進する。一瞬メカに何が起きたか驚愕したが、何のことはない、ヒール&トウがやりやすいペタル配置になっているので、ブレーキと同時にアクセルを踏んでいたのだ。こんなとき、決して自分を疑うことはなく、メカを疑うものだ。
(コンパスの故障)
沢登りで複雑なツメを試行錯誤でやっと終え登山道に出る。
そんなとき高速道路に乗ったような気分になり、想定していた方向に歩き始める。
思わぬ登りがあるから念のためコンパスを見ると逆を示している。
「ついにコンパスが壊れた」と思う私。しばらく進みどうもおかしい。なんのことはない私の方向感覚が逆転していたのだ。
それを微塵も疑わず機械のせいにする思い込みの頑迷さに呆れた。
人間とはそんなものだろう、他の動物にはない論理性を持つことは、現実を理屈から来る推論に当て嵌めようとし、柔軟性を欠き間違いを犯す。
昨今頻発しているAT車の踏み間違いも、一様にアクセルが戻らない、故障したと言うが、私がコンパスを疑ったのと同じではないだろうか。
そしてその根源には私がイエローブーツでアクセルを踏んだような、足裏感覚の希薄さがないだろうか。普段から履きなれた、できればレース用のドライビングシューズのような感覚であれば、踏み間違いの一定量は防げるように思う。
私としては登山靴のまま車を運転するようなことは止める。
運転は薄いソールの、履きなれたものでする啓蒙をしたらどうかと思う
執筆者: kazama
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