JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
山梨へ来てから地図の教科書に載っていた京戸山扇状地に住んでいる
ここは母の郷ゆえ京戸山はまさに郷土の山である。
その大きな山容は京戸山山系と括られ、山梨峡東地方の重要な山だが、山梨百名山は盟主京戸山ではなく、なぜか隣の達沢山が選ばれている。
子供のころ母の兄である叔父さんが家に来て、いつも父との会話の中に「京戸の山」と言っていたのを郷土の山と聞いていたが、あれは何を話していたんだろうと今も想う。 なぜ京戸の字を充てたのか、雅で神秘的な名前である。
そんな思い入れのある京戸山は大きな山容の割に訪れる人が殆どいない。それ故に静寂な美しい山稜は魅力がある。
大菩薩連峰から小金沢連嶺を南下し、滝子山の西の大鹿峠から、お坊山山系から雁が腹摺山を経て笹子峠に至る。ここから京戸山山系へはマニアックな山稜である。そこを辿って以前からの課題である摺針峠を目標として歩いた。
こういう山へはバイクがいい。尾根への取り付きの見極め
径路の変更など、四輪より遥かに融通が利く
笹子峠から南の急峻な斜面を登ると傾斜が緩み落ち葉の尾根になる
総じて痩せて屈曲し、アップダウンの多い尾根を西から北西へ
京戸山の主稜から南へ派生する尾根を歩く。
ここからは初めての道。京戸山山系から御坂山系までは、
この辺りでは最も人知れず。テント一泊で歩いてみたい。
南下して初めてのピークがブナの大洞山。。
この歳になるまで、この山を知らなかったことは迂闊だった。
この幽邃。。有機的な不気味さ、生きる執念を感ずる
大洞山への痩せた美しい尾根
大洞山頂上は小広い落ち葉の平地 北方に京戸山方面
摺針峠には大洞山を南下した鞍部だが、未知な踏み跡程度
すでに冬の短い日は西に傾き、帰路の不明瞭を想い断念する
冬の弱い日差しは思索的でもある
これまで辿った幾多の山路を想う
乾きたる 落ち葉のなかに
今日の山路を 越えて来ぬ
長かりし 今日の山路
楽しかりし 今日の山路
...若山牧水の この一節がうかぶ
残りたる もみじは照りて
寂光.... 鎌倉の寺を想う
谷あいに響く 鹿の遠音
今日いちにちの 我が踏音 我との語らい
日の暮れた笹子峠 この古道を
昔の旅人はどんな目的で越えたのだろう
バイクでの家路は なにか原点の豊かさがある
( 摺針峠をめざす )
笹子側山稜からは時間切れだったので御坂側から峠をめざす
台風で大荒れの谷あい セローとはいえ限界 結局ルートミスと判明
以前バイクで偵察し、古道は探せなかった。
沢の右岸がルートと推測 当初はそれらしかったが
まもなく風情のない(笑)急斜面に吸収された
GPSには先日の大洞山より引き返した軌跡があり、それを目指す
直進は深い谷に阻まれる 左の尾根を登り、大洞山の軌跡を目指す
きわどい登りもなく、下降ルートとして使えることを確認しつつ登る
標高が上がると谷のむこうに摺針峠の鞍部が見える
もうすぐ大洞山 胸ときめくこのとき
魅了されたこの山に 未知の西稜から登れたのは嬉しい
大洞山から南下 辿り着いた宿願の摺針峠
鎌倉街道の間道として幾星霜 歴史を閉じたこの古道を偲ぶ
樹間から見える 今や心のふるさと 神奈川や東京への路
摺針峠から南に 山稜を御坂山系を目指す
急登のあと 1335mの無名ピーク 心躍る未踏の静寂境
堂々たる山容の大沢山 と思ったらボッチの頭
結局欲が出てボッチの頭から一時間の大沢山まで足を延ばす
その先の清八山までで京戸山山系と御坂山系が繋がる
しかしその間の女坂峠の深いギャップが悪いらしく課題である
初冬の日は午後2時を過ぎると日没の気配が漂い始め
摺針峠からの下降ルートが気になる
摺針峠からうっすら残る古道らしきに誘惑される
台風の崩壊も予想される未知の下降ルートは避けるべき
安全策なら登って来た大洞山の西稜は既知である
多少遅くなっても灯火はある,最悪シュラフカバーでビバーク(笑)
それに何よりGPSのトレースがあるし予備電池もある
しかし摺針峠の古道の誘惑には勝てず、万が一は登り返す覚悟を決める
しかし古道らしきものは斜面に吸収されてしまう
こうして摺針峠の古道は 時間という永遠の彼方に消えていた
振りかえればすごい斜度 しかも北面の谷あいが古道なのはなぜか
いつも想うのは航空写真もない時代の旧いルートの合理性である
たぶん南面の右岸には 前述した深い谷があり避けたのだろう
バイクが見える あそこで待っていた、忠実で信頼のおける相棒
こういうとき 車よりずっと意志を感ずる
それは幼少期の家の農耕牛のもの、カモシカ(セロー)ではない(笑
バイクで山を降りる クルマだと山はそこで終わる
バイクだと家に着くまで 山が終わらない
( 山の不気味 )
山を夕暮れに降りるとき、追い立てられるような感じがある。
カラスの鳴く声も「人間のいる処ではない、速く帰れ」というニュアンスに聞こえる。それも日帰りの山ならではの情緒であり、古くからの生活感のように受け止めていた。
山の上から、ひたひたと誰かが追って来るような気配に思わず振りかえる。。その自分の行為にゾッとして
「ったく何やってんだか」と打ち消すのだが、その不気味な気配は拭いきれない。実態は山の夕暮れに追い立てられているのだが、どこか人為的なものに置き換えられる。
この気配は何だろう。。もしや遭難者のものではないか。。里へ降りる私に追いすがるのか。。てなことを私は全く信じないが、でもこの感性のディティールはそんな感じだ。
山は殆どが単独だった。山の夜の怖さも、その神秘性への畏怖であり、山の魅力。怖くない人には神秘という魅力もないだろうと思える。テントやツェルトの夜は、登頂の手段の睡眠という意味ではなく、山の夜の深淵に浸るのが目的だった。
その怖さを山のスパイスとして転嫁し、愉しんでいるのだと思っていたが、山から遠ざかり、また老化に伴い、怖さだけが度を越えてきた。
( F )
執筆者: kazama
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