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by : DIGIHOUND L.L.C.

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Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN

2020年10月11日 21時51分 | カテゴリー: 登山

京戸山の夜

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(古風な風格の京戸山 しかし山梨百名山は右の達沢山)

 山梨に来て、縄文土器で名高い釈迦堂遺跡の近くに住んでいる。

釈迦堂遺跡は京戸川扇状地の中央に位置し、縄文人が四千年以上の長きに亘り生活を営んだ。
扇状地は山からの土砂の押出しにより形成され洪水を想像する。しかし竪穴式住居の遺構があることを考えると、少なくとも過去数千年に洪水が無かったことになる。ここは母の郷でもある。母はここに生きた縄文人の末裔かもしれない。私がこの地に住む満足感は縄文人と同じ扇状地で暮らすことにある。文字通り母なる京戸川の源となる京戸山を朝に夕に眺め、信仰に近くなった。日課の蜂城山738mの登拝は山頂にある天満宮に祈り、奥山になる京戸山に真言を唱える。山に向かい祈ることは、その頂きや尾根に祈りが沁み入る気になる。その頂にいつか泊まってみたい、泊まった場所として眺めたいと思うようになった。

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( 京戸山山系西端のピーク )

 寒くならないうちとバイクで達沢山への登路を辿り、どん詰まりまで登った。バイクでのアプローチは効率がよく度々利用している。その代償として寒い帰路が長かったりすると山よりバイクのが辛かったりする(笑)
 テント泊となるとあれこれ必要になり一泊でも15kgを超す。
5泊ぐらいの山行をしたが重荷で長距離を歩く若さはもうない。
 覚悟を決めれば一時間は休まない習慣はまだ苦しいが何とかなる。
これが6時間とかなれば、もう無理だろう。

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(バイクなど場違いの山中ゆえ目的を表示する)

 目的地は京戸山山系の西端のピーク。ここが家から良く見え,そこに泊まるのが願望になる。山梨に来て先ずしたのは目前の石和から金峰までの長大な山稜を歩くことだった。眺めて暮らす山稜を、歩いた尾根として見たかったからだ。路が有ったり無かったりの山域だったが、見える稜線にはこだわった。道があったとしても、家から見えない凹地だったら利用せず、たとえ薮でも家から見える尾根を選んだ。

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 京戸山西端のピークは展望はないが手ごろな平地があった。
テントを設営してザックを置き、京戸山の三角点まで歩いた。
思えばこの京戸山から御坂山系までを、幾つかの峠を越えて三回に分け歩いたのは昨年の晩秋から今年の早春のことだ。
カサコソと落葉を踏んで冬枯れの尾根筋を黙然と歩いた。。

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 想うのは、その日々には亡き健太郎君が居たことだ。
あの4月末の深い夜を境に家族は変わった。
何をしても暫くはそのことに行き着いてしまう。

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 通いなれた山稜 馴染みの倒木

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 この山に生きた証

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この眼孔は何を見てきたのか。。

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ここに生きることの その執念

 帰路の山稜は薄暗くなり始める。
空身でこんな時間にこの尾根にいる違和感は、そうか今日は京戸山に泊まるのだ、この京戸山が、今夜の家なのだと、幸福感に行き付く。それは南アルプスのどこかに泊まる等を遥かに上回る。

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ゾッとする気配 自分で干したことを忘れる

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閉めておいたテント

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もしや中に人が居たら。。 空けるのをためらう

( 太古の夜 )

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 テントに入りホッとして荷物を開けると、なんと忘れ物の数々。。
時間があったのに、集中力の問題だがこれも老化故か。忘れ物は歯ブラシ一式。独りがいいといいながら世間の音を求めるラジオは静寂を紛らわすことでもある。スマホの予備バッテリーにコード忘れ(笑)。いつもMDは音楽のため必須だが本体だけでヘッドホンが無い。。長い夜が思いやられる。
彼岸過ぎの早い日暮れ.夜がしのび寄って来る。夜の帳が降りるまでが孤立感がつのる。それを寂しがるのも広義で山の愉しみといえる。
 明かるいうちにホットレモンを沸かして夕食を済ますともう何もすることがない。スマホも3Gの電波が危うく消耗が激しいから電源を切る。

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 読む本もない、ただ乾いた初秋の風を聴くだけ。。しかし退屈ということはない。リラックスどころか、僅かな音に神経を尖らす。ラジオを聴いたらその背後の異質な声に神経を尖らせる。それが動物ならまだしも人の声なら凍り付く。孤独を求めての反面、人恋しくもありながら、最も怖ろしいのも人の気配というのはどう解釈したらいいのか。
 何かを契機に恐怖のモードに入ると抜け出せなくなる。対処方法は恐怖から逃げられないなら向かっていくしかない。窮鼠猫を噛む。自ら怖い想像をしてみる。想像にも限界があり、やがて落ち着いてくる。これまで実際に何も起きたこともなく、恐怖はただ己の心のうちにある。

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 前回の山の零下の夜は寒さで怖さの這いこむ余地が無かった。
シュラフ二枚重ねの用意をしてきたがそれ程のことはない。紛らわす手段がなく怖さが忍び寄るかと危惧したがそれは無かった。京戸山への信仰の故だろうか。それとも老化で怖れに鈍感になってきたのか(笑)
 テントから覗く黒々とした樹林。これが夜の京戸山なのだ。吹く風の音は私のいない江戸時代、いや縄文時代からずっと変わらない。自分のいない自分の部屋は決して見ることができないパラドックスがあるが、夜の京戸山はそれが見えている、たぶんここに人が泊まるのは、もしや初めてかもしれない。今夜私が居ることで京戸山の夜は微塵も変らない。ここには時間というものが必要ではない、世間と遮断され、風の音だけの、
これが太古からの夜にちがいない。

( 訪れるもの )

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 零時過ぎに生地が薄明るくなり、風に揺れる木の影がぼんやり写る。
遅い月がでて、この頂を照らし、私のテントにもいくばくかの潤いが訪れる。この月光の恵みを、灯りのない夜に縄文人はどう受け止めたろう。明るい満月の夜に、なにかのセレモニーをしなかったろうか。
私が月の明るい晩に歩いたり山に寝たくなったりする高揚感は、その名残りではないだろうか。。

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 あまり寒くはなかったから、二時間近くも眠れた。
大概二時ごろには不気味な気になるが何もない。
三時を過ぎると、夜明けへの期待が芽をもたげ始める。夏なら黎明が始まる。もうひと頑張りと、寝るのに頑張るのは山の夜ならではである。
 5時過ぎから東側の生地がうっすらと明るくなり、月明りとの微妙な干渉がある。闇に恵みの蒼い月光をくれた月は、朝の光が満ちてくるにつれ消えるともなく去ってゆく、その微妙さと謙虚さは、薄幸の貴婦人を思わせる。

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 長い夜を耐えて、テントの生地を染めてやってくる朝の嬉しさ
「この世の最上のものは夜明けである」と思える。死を端的に定義するなら、朝が来ないことと言える。ことに冬山となれば四時ごろから15時間ぐらい狭いテントで過ごすから嬉しさは格別である。

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 14時間ほど過ごしたテントを撤収した。総てをザックに収め、身を横たえた僅かな平地は落ち葉が平らになっている。90cmx180cmの土地は、サンテグジュベリの「人間の土地」を彷彿させる。

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 ザックを背負い、全てを委ねた愛着のある大地に、恩義をこめてそっと手をやる。ここにまた泊まることはないだろう。
いつも山を去る時、再び無人になった場所をふり返る。遠い山などは今生の別れの感慨があるが、ここ京戸山は郷土の盟主たる山である。これからもお守り下さいと頭を下げ降りてきた。

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中腹のご神木たる栗の巨木 縄文の重要な食物故か?

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随所にある炭焼きの遺構 その時代の湯呑も遺る

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ここで一夜を過ごしたバイク 馬を待たせた気分

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手前が蜂城山738m ここから京戸山を仰ぐ

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やがて京戸山に雪の季節がくる

執筆者: kazama

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