JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
生家の西に見える堂々とした兜山を,正式には棚山と言うことは大人になってから知った。甲府盆地が未だ湖だったころの船着場の鎖が兜山の岩に残っているとの話を小学生ぐらいまでは信じていた。
中学生の頃,有史のころに水面が1000米を越す事などあり得ないと、嘘を証明するようなつもりで登った。辿り着いた何もない岩だけの頂上が印象的だった。それは大人になる段階で幼少期の概念が覆されることの一つだった気がする。
その狭い頂上へ泊まってみたいとはかねてより思っていたが,いよいよ後が短いことから実行に移した。
(かってのトラック道が崩壊に任せ廃道と化している)
ルートは温泉からあるようだが,勝手知ったる山の意識で昔の山道へ軽トラで入った。しかし林道は荒廃し崩れ通行不能。そこから歩いて過去の記憶のルートへ向かう。
(要らぬ心配を掛けぬ配慮で下山日を明記する)
(沢の分岐こそ要 ここは左へ詰める)
沢筋から右寄りに尾根に移り,絶妙なトラバースを経て頂上に至った経緯がある。沢筋は昨秋の19 号台風による倒木で荒れている。右の尾根に移るような地形が無いまま沢はツメの様相を呈しできた。悪いことにGPSを忘れ頂上との位置関係が分からない上に落葉前で見通しが効かない。ならば左の尾根に強引に昇り見通しを得る算段をする。淡い期待の温泉からの登山道は尾根上にはなく,更に南の尾根のようだ。倒木の沢筋より幾らか歩きやすいのでこの尾根を登ってみることにする。
(これより上部が急激に傾斜を増す)
兜山の切り立った東面の上部はやはり急峻になる。二十メートル程はやっと登れるぐらいだかその上がどうなっているか分からない…おそらく頂上へは400メートル程だろうがそこを天泊の重荷で突破する気概はない。引き返し,あわよくば昔の尾根へ上がるルートを発見できたら登り直そうと思った。
しかしそれらしき地形はない。 もしやあの記憶は他の山だったかもしれない。老化に従い過去の時間は時系列に圧縮され前後関係も分かりづらくなるのだろうか。ことに道も地名もない山の記憶が入り組んでくるのも有りがちなことで注意が必要だと思う。
断念してからの谷筋の降りが案外大変で三度も転んだ。久々の重荷もあるがあまりに脆い。登山道を歩くのとはワケが違うし骨折でもしたらもう遭難である。自分の今日の登り方は若い時の概念そのままで老人のする事ではない。そのギャップを埋めて嗜好を変え行動を変えなければいけない。
(背後が兜山 荒れた林道を引き返す)
(手前の支稜の背後の兜山 東面の急峻さが窺える)
(里山だと思って甘く見るな。。そう見下されるような居丈高)
天幕装備で山を引き返したのは記憶では2回目,越後の荒沢岳以来のこと… 只見の秘峰と故郷の里山では比較にならない。度重なる忘れ物といい明らかな気の緩みの結果だった。
沢筋の敗退で疲れが溜まり翌日は休むつもりだったが,思わぬ高温で雨も無さそうなので行くことにした。
正規ルートでまともに,と思ったがやはり素性は怠け者が出てバイクでショートカットしようと欲が出た(笑)記憶に残る林道をバイクで行き,温泉からの登山道へ先回りしようという魂胆だ。
ゲートを開ける頃から記憶より狭く草に覆われている。屈曲を幾つかして登りの猛烈なガレ場にでる。四駆でも厳しそうな廃道と化していた。止まると再スタートは困難そうなので堪えてラインを選ぶ。それでも何度が押してガレ場を突破すると水溜りが幾つも現れ何とか縁を走る。幾らも走らない内にアカマツの倒木地帯になって万事休す…19号台風がそれ以前からの過疎と林業衰退による林道荒廃に留めを刺した状況はここだけではなく日本の山地全般に言えるのではないか。藪山や未知の尾根歩きを嗜好する向きには倒木を跨いだり潜ったりしている内に方向感覚を失い,それを機にルートミスに陥る。少子高齢化の世相は山の世界をも変えたと言わざるを得ない。
バイクをそこで捨て歩きに切り替えるが本来のルートが見つかるかどうか… また今日も敗退の図式が頭をよぎる。
微かな廃道を辿るうち見覚えのあるレンガの門跡に出る。かってここに開拓のため入植し,ユートピアの象徴だろうが。果たしてそこからが正規の棚山ルートだった。あとは地道に登りさえすればいい。再びの返り討ちに遭わずに済んだ^_^
そこからはさすがの兜山の東面だけあってかなりの急峻で、おまけに赤土で雨の日など手の付けられない様相ではないか。それ故かトラロープが随所にあって助けられた
(素晴らしい佇まいの山の神)
結果として通常ルートの倍の時間がかかった。正直爺さんが大判小判ザックザクに対し欲張り爺さんは何だっけ(笑)まったく正攻法に勝るものはない。
峡東と言われる甲府盆地の東部が一望。船着き場はなかった(笑)
生家のある八幡地区 幼少からこの山を眺めた故郷
(東西が狭い山頂 西には甲府方面が見える)
物干し兼 熊除けの案山子 山上のムンクの叫び
南アルプス方面 御手洗川の流れ
(山が暮れてゆく 岩堂峠方面)
ここからは郷里が一望できる。灯りがちらほら見え始め生家の辺りの傾斜地が眼下にある,あそこからいつも西の空に兜山を見上げていたのだ。その想いを今こうして果たすことになった満足感に浸る。子供の頃の願望を果たすのは大人になった自分が,そのルーツたる幼少の自分の夢を叶えることであり自己実現といえる大切なことだと思う。
峡東地方 我がふるさとの灯り
そこから生家にいる兄に電話をしてみた『いま兜山にいて今夜泊まるよ』兄はそれをどう受け止めだろうか。夜の兜山に今夜は弟がいる,それを他愛のないことではなく,ある価値観を持って受け止められるのが私の家系と思える。
(甲府の灯りは峡東より賑やか)
食べる暇がなかったおにぎりを、ホットレモンを沸かして食べた。外は闇が忍び寄るが孤独感や寂しさがないのはここが郷里の山だからだろうか… それに季節外れの暖かさはシュラフ一枚で充分である。
寝る前に夜景を見て置こうと外に出ると、そこに甲府の夜景を見ている後ろ姿‥ 心底凍りついた。こういう時,何より怖いのは人の気配である。その気配を求めて普段なら聞かない賑やかなラジオをかけて置いたりするのに,いざ山にその気配がすると熊よりイノシシより遥かに怖い… 求めるのと怖れることのその幅は何だろうか。それはたぶん人間というものの善悪を含めての行動の幅ではないだろうか。善人もあれば凶悪犯や変質者,猟奇的な行為‥ そしてそれは霊的な世界にまで及ぶ‥ それに比べたら熊やイノシシの行動は明快であり単純である。テントで丸まって独りで寝るとき,この山中で夜を過ごす野生の動物たちとの連帯,灯りひとつ持たない奴らもこうして闇夜を過ごしているんだろうなと共感すらある。
その後ろ姿の主は幽霊でも何でもない,私の傑作なカカシに,作った本人がそれを忘れおびえたのだ。カカシは熊を威嚇する前に製作者を威嚇したのだ^_^
前回の反省を踏まえてラジオを買ったら感度が良く明瞭に聴こえた。それでも2人のトークのはずなのにもう一人の声が聞こえるような時はゾッとする^_^ ラジオの内容を聴いているのではなくいったい何を聴いているのだろうか。
大して怖い夜ではなかったがそれでも不可解な夢を二つばかり見た。
傑作だったのは私の嫌いな温泉で,尚且つ裸体の男の夥しい行列が赤黒い地下深く,螺旋階段が見えなくなるまで続いている。一行に進まない行列の目指す先にサウナがあるという。私はサウナというものに入ったことはなく,入りたくもない。絶望して帰りたくても,もう後ろには戻れない‥と思ったら目が覚めた。
そのおぞましい光景は芥川龍之介の蜘蛛の糸の血の池地獄に違いなかった。
時計を見ると午前2時‥ やはりと思う。丑三時というこの時間は夜の最も深いところ,もう宵の口でもなく夜明けにはまだ遠い。午前2時には何かが起こる,山の夜の鬼門である。
それが3時となると夜明けのへの希望が芽生えてくる。夏山ならもう黎明がはじまる。テントの生地がうっすら明るくなることの嬉しさを何と表現したらいいのだろう。
(霧で夜が明けた)
この朝は6時過ぎに電話が鳴った『どうだ,無事だったか』と兄貴だった。兜山の一夜を兄貴も追体験しての朝,これもふるさとの山ならではの会話だった。
下り坂の天候の日,雨の降らないうちにと早めの撤収をする,
昨日石を除いた穴があり元の岩を戻した。この土と岩の関係は恐らく数百年いや,千年を超える縄文時代年に及ぶ間柄かも知れない。それを私の一夜で人為的に変えてはいけない。
石の上に何かの紐がある。お菓子の袋にあったものだろうか。それをここに残すのはゴミを残すという道義的なものではない。我が家に他のものと一緒にあったものが,この山の岩の上にポツンと遺すことはあまりに寂しく可哀想すぎる。勿論持って帰って他の物と一緒に捨てるのだか,ここに残すのとそれは訳が違うことに想う。
いつもながら背中を横たえた僅かな土地への想いがある。やはりそれを表現すれば大地への恩義だろうか。
かって中学生のとき、登って来た尾根。知らぬが仏の冒険だった
(武田家に滅ぼされた跡部氏は祖母の郷小田野の領主。その合戦の地である夕狩沢。美しい響きに憧れ登って来た。東面の急峻と対照的な径路だった)
ザックを担いで昨日の急峻な斜面を避け,尾根コースにする。道のあることの何と穏やかな気になれることか
(兜山の南隣の穏かなピーク)
途中で車屋さんから電話があり岩に腰掛けて話す。しばらく下ってから何となく手ぶらを感じたらストックを忘れた。電話で腰掛けた岩の所だ。ストックを持つ習慣がないから高い確率で忘れる。今回は昨日の転倒と熊への武器という意味あいで持ってきた。大したものではないが幾つかの山へ持っていった。忘れたのは2回目で前回は蝙蝠岳から仙塩尾根を辿り北沢峠までのロングコースで最後の仙丈岳で忘れを気がついた。その時も岩の上で休憩した折だったが,あの岩にポツンとあるストックの様子を想うと戻るしかなく,前夜のテントの場所にもう一泊を覚悟して戻った。そんな経緯のあるストックを取りに戻らない訳にはいかない。ザックを置いて戻ったら15分ほどだった。
忘れて立ち去っても 物言えぬストック
(いかにもルートのような,引き込まれそうな穏やかな尾根が派生する)
この尾根の途中に重ね石という奇岩がある。たしかに巨岩が二つ重ねられている。元来一つのものが二つに分離したものではなく、何らかの経緯で重なったものだ…一体いつの時代にこうなったのか… この世で岩ほど旧いものはない。少なくとも数万年,南アルプスができた200万年…むろん日本列島ができる前からここにあったに違いない。岩の時間軸は私たち生物とは次元が違う。
(重ね石の下にある不気味な枯木に導かれたミスコース)
そんなことを想いながら尾根を下るといくらか踏み跡が薄くなった。尾根を全く外していないからおかしい。念のため岩の所まで戻ると右の斜面に赤布がある,しかし旧い植林地のそこを降るのは不自然だ。やはり尾根通し下るのが自然であり腹を決める。踏み跡はやはり濃くならず赤布もない。しかし明瞭な尾根筋だからルートはここが自然である,ままよここを下れない筈もない。南アルプスのように下部で切り立った谷ではないから何とかなるだろう。
いったん傾斜が緩み穏やかな尾根になる。気を良くするが往々してここを肩として急激に落ち込むことがある。果たしてこの先から尾根は急角度で先が見えない。降りられないことはないが,一昨日の三度の転倒が頭をよぎった。
やはりここはルートではない。だとしたら重ね石の前で既にルートを外れたのか。若ければ降りたろうがまだ時間はある,重荷だがここは戻ろうと決めて,ひたすら登る。南北アルプスでもこんなルートミスをしたことはない。有るのは八溝山系の男体山で泊まった翌日の下山でやはり谷を強引に降り,民家の屋根が見えていながら滝に阻まれで尾根を登り返したことがある。やはりそれも時間的余裕があったからだ。これが追い込まれ,或いは体力的に余裕がない時にはこれだけの急傾斜を登り返す気にはならないだろう。そしてさらに追い込まれ,或いは転倒して骨折でもしたらもう遭難である。こんなミスをした山が共に里山であることが心理的な気の緩みという共通項があるのかも知れない。
果たして重ね石の上に谷へ下る分岐点があってそれを見落としていたのだ。なんでこんなに棚山如きに^_^連日苦労するのだろうか。里山侮るなかれ,いや里山こそ気の緩みを含め落とし穴がある。
(沢に降りる前にあった苔むす巨岩 ここに何万年在るのか。。)
下山完了してもバイクまでかなりある 開拓地跡の水道施設?
ユートピアの夢儚く。。
この道路からもこの地への思い入れが偲ばれる
(この何気ない風景に惹かれたのは何故か この淡さと儚さ。。)
これで棚山泊のイベントは終わったと思ったがもう一つの試練が用意されていた。それはバイクでの帰路でガレ場の下りが気にはなってはいたが,まぁ登山の岩場は降りが難しいがバイクはブレーキのコントロールで下れるとタカをくくっていた。ところが岩の連続に足をフートレストに載せられない、ということはリヤブレーキを踏めないことを意味する。トライアルの基本フォームのスタンディングポジションを取れないことの言い訳をすれば背中の15キロのザックがある。重心の高いところの重荷はバランスを大幅に取りづらくする。はて困り果てて思案したのはリヤブレーキの代わりにエンジンブレーキだがアイドリングがあるとエンジンが止まってくれない。アイドリングをゼロにしてスロットルを戻せばエンジンが止まるようにしてブレーキ代わりとした。止まったらセルスターターでエンジンを始動するの繰り返しで何とかガレ場を降りることができた
思えばここでのバイク転倒は山より骨折のリスクはずっと大きい。こんな廃道を訪れる人は皆無であり立派な遭難になる。これも年寄りのすることではないと痛感するに至った
‥ なんと三日に亘り棚山に苦労したことだろうか。そこには私の老化が色濃く反映している。忘れ物,記憶の曖昧さ,足腰の柔軟性。道を外したステージでの足取りの不確かさ‥ その総合力の劣化がありながら山への嗜好は昔のままのワイルドさ。バイクはもっとでウイリーやハードランが出来るつもりで居るが今回の体たらく… これでは遊びの哲学を変えねばならないだろう(泣)
… 家から兜山が毎日見えている
あそこで泊まったのだ。夕暮れていく兜山を見るとあそこでの夜の様子が浮かんでくる,あの狭い頂上の明け暮れを私は知っている。誰もいない頂上でもそれが過去からずっと またこれからもずっと繰り返される…そう思えることは大きなことだと思う
執筆者: kazama
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