JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
友人が東御殿という無名に近い山に登った。そういえば高校生のときに,この魅力的な名に惹かれ登った筈だ。東山梨には笹子御殿、赤岩御殿があり共に登った。山に御殿という豪勢な命名をするのは、その風貌だろうか、或いは林業の要衝だったり、また良質な炭材の宝庫かもしれない。
(東御殿1486m)
高校生の友人で、今は浜松の住職をしている彼に同行した東御殿の記憶を訪ねると記憶は曖昧なようだった。彼に撮ってもらった萱の原に立つ写真が唯一だが、この山域のどこにあったのか。彼によると小学校の遠足で東御殿の尾根続きの大久保峠へ徳和から登ったという。その小学生の彼の足跡を、また高校生の私たちの足跡を追いたくなった。
大久保峠まで牧丘側から登ることにしたが、つい欲張って地図にない林道を大久保峠の行けるところまで車で登ることにした。予想よりずっと上まで林道は延びていて、もしや峠まで行けるかと思いきや、ストンと終わりそこから歩道すら無かった。目論んでいた大久保山の尾根を辿り東御殿へ至る構想は無理となり、全く未踏の山腹を登るしかなくなった。
(斜面をトラバース中からの 威風堂々の東御殿)
路外を想定しハードな登山靴を持ってきた。新調したのはもう三十年を経たろうか、飯豊連峰か西穂奥穂の縦走の時だった。最初は気難しさを感じたが馴染んだら得難い一体感の靴になった。
緩い傾斜を選んで登るがガレ場で調子が出ない。鞍部を目指すが傾斜に阻まれ迂回するうちに目標が変わる。しかし登りは単純で集約するからひたすら歩きやすい高みを目指せばよい、要注意は急傾斜でフリーで降りられない傾斜を登らないこと、万一上部で行き詰まった時追い込まれる。
バイクは逆で登れない未知の斜面を降りてしまうとお陀仏となる(笑)
(顧みれば南方に10月に泊まった棚山が。 すでに甘美な想い出)
東御殿の東稜は極めて急傾斜に感ずる。遠目の傾斜感より急峻なのは登山道のジグザグではなく直登せざるを得ないからだろう。つい歩きやすい獣道に引き込まれ尾根を外すうちに頂稜が遠くなり、最後は強引に登り切ったところが東御殿だった。当然ながら何もない冬枯れの頂上だった。それを御殿ということの虚しさが、却ってロマンを感ずる。人の知らない満月の夜に、狐たちが月見の宴を催している。。そんな想像をしたくなる。
しかしここまでの径路のなかで記憶と一致する箇所はどこにもなく、まして萱の原もなかった。高校生の時に登ったのはここ東御殿ではなかったのだろうか、だとしたらあれは何処なのだろう。。
東御殿に到達すれば一応の目的は達成したが、この尾根続きの西御殿を経ての山稜を歩いてみる。この先の山稜こそ日々眺めた憧れの地。
東御殿より西方の1600m級の山稜 背後は2500m級の秩父脊梁、
国師への尾根に埋もれ美しいスカイラインとならない
この緩やかな山稜がスカイラインを成していたならどんなにか美しいことか。高山に囲まれた 山梨の低山の不遇がここにある。。
森林限界の低い雪国北陸の山、関西の穏かな里山に惹かれる所以でもある
名もないこの山稜に惹かれていた 野生の苦難を思った豪雪の冬
西御殿は顕著なピークではなく穏やかな小天地だった。
ここから先が家から見える、美しい山稜である。
振りかえれば東御殿が遠くなる
穏かに見えても来てみれば傾斜がある。屈曲した尾根にいくつもピークがあって展望には興味のない獣たちの絶妙なトラバース径が付いているが、憧れの山稜を歩いている悦びが先にたち、忠実にピークを辿る。以前山梨に越した記念として石和から金峰山までのトレースをした時も、家から見える尾根のスカイラインを忠実に辿った。たとえトラバースが登山道だったとしても、後々あそこを歩いたんだという自己満足のためには薮を漕いでも大切な拘りである。
石碑か?と見紛う研いだような岩が随所にある
人跡に依らぬ 遥か太古の無為なる地殻変動の痕跡だろう
最後のピークの目前には50mほど呆れるほどの急斜面があり、木を掴んだりして登りきった、そこには小さなピークが二つあり、その西のピークを到達点とすることにした。ここが家からみる憧れの小天地である。
枯木をしいて腰を下ろし、眺めていたあそこに居るんだと満足感に浸る。日差しを浴びようと南向きに座ったが風が冷たくて北向き避けた。
おにぎりとドーナツを食べ、私にしては珍しくコーヒーを沸かした。
それはささやかな、御殿での宴である(笑)幸せには演出が必要だ。
小鳥山(小がらす)は尾根上かと思ったら下に派生 奥は小楢山
中々険しそうで西上州の山の趣 好事家好みか(笑)
東御殿の下は友のふるさと三富村
遠い日の 大久保峠へ遠足の一行を偲ぶ
三富村の盟主 乾徳山 徳和川を遡り大ダオの笹原の夜
そこでみた南半球の一等星カノープスは天文少年へのご褒美だった
いくばくかの憩いをすごし、賑わった小天地が、荷物をまとめて立ち去る時、なんの変哲もない場所に戻る。ここをしかとわが目に焼き付け、この地と私との縁と、再び来ることのない惜別を噛みしめ立ち去る。
樹からの東御殿は、なるほど御殿と言われる妙味がある
帰路は獣道に引き込まれ外した東御殿の東稜を忠実に降りた。若い時は滑落だけ気にすれば良かったが転倒して骨折なんて図式が浮かぶ年波になってきた。それでも欲を出し、往路で巻いた大久保山の西のピークを踏み、更に先の大久保山とも思ったがすでに三時半を過ぎ、GPSの軌跡が有るとはいえ路外の降りを想えば自重した。
降りてきた東御殿の偉容はなかなかのもの
このとき既に軌跡より東にかなりズレていた。降り安そうな斜面は軌跡とは沢ひとつ跨いだようで様子が違う。下に林道は無いので降り過ぎると厄介なので強引に西にトラバースする、GPSは受信状態が悪いらしく想定範囲の大きな円を表示している。見覚えのある巨木や岩を探すが、この辺りの感覚がGPSを使うようになって漫然と歩く習慣がついてしまった。得るものあれば失うものあり、書かない字を忘れるのと同じことだ。
深い落ち葉の滑りやすさ、隠れた岩や溝に苦労しながら日没ギリギリに小広い林道終点が下に見えた時はホッとした。何を隠そう人にはうるさく言う秋山のヘッドランプを忘れていたのだ。
日没ギリギリでこの斜面を降りてきた
その酷い迷走ぶり 勘も何もない電池切れたらアウトだった
執筆者: kazama
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