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2021年02月02日 22時15分 | カテゴリー: 登山

Wish you were here あなたがここにいてほしい

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 Wish you were here あなたがここにいてほしい
彼が好きだったピンクフロイドのこの曲を、今は彼に捧げたい

コロナに自らも感染し、他人の苦しみが解ってよかった。という言葉を遺し去っていったアントニオ。。
 彼のことを想うと、あの笑顔が浮かんできて不思議に暗くならない。
これは悲しまないで欲しいというアントニオの意思にも思える。
 彼は私の探してきた幌のJeepを、誠にファッショナブルに乗った。Jeepというキャラクターはルーツのミリタリーに染まったり、或いはアウトドアのRVとして、土木屋風、またマッチョな四駆野郎になったりする。しかしアントニオはそのどこにも染まらず、言葉を当て嵌めればヒッピーというカルチャーだったろうか。それは永年住んできたニューヨークのストリートカルチャーだったかもしれない。家庭にも職業にも拘束されない、モテるのに(それ故か)特定の彼女にも拘束されない象徴。ニューヨークから連れてきたフー(who?)という黒い大きな犬との生活空間が、そのロングの幌馬車然としたJeepだった。

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(雑誌に紹介したアントニオの生活拠点)

 フーとの二人ぐらしともいえる盟友のフーが死んだとき。アントニオはフーとのお別れに、また追悼として、厳しく、かつ誰もいない山を教えてくれと言った。私は南アルプス白根南嶺という、三千メートルに近い人跡まれな、あたかも神話の高天原とも思える広大な高地があるルートを話した。
 フーへの思いを胸に、アントニオは大門沢の長く険しい急登と、尾根に出ればルートの不明瞭に物怖じもせず、四日に亘る縦走と、また満天の星空にフーとのお別れをしてきた

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(白根南嶺 フーがここにいる気がすると。。その後も何度か登った) 

 アントニオと、しみじみ話したのは震災の時だった。
折しも退職した私は石巻に行き、想像を遥かに超えた惨状に打ちひしがれた。震災とはどんなものか、この目で確かめたい気持ちに自責の念が湧いた。夥しい泥の重さ。その中へうず高く廃棄するものへの被災者の思いに触れ、私が復興への力添えどころか、まだ破壊の過程への加担でしかないことに滅入った。独りで来たから夜は車のなかで持ってきたものを食べ、音楽も聞く気になれずその日の残像が浮かんできた。その二日目の夜。専修大学のグランドの駐車場の私をアントニオが訪ねてきた。被災地の暗く重い夜に、彼の笑顔にどれだけ救われたことか。それはお互い様だったかもしれないが、私たちは目の当たりにした無為な、また虚無というものの力をどう理解すればいいのか、神の不在をどう受け入れればいいのか。。しかし直接の被害をうけていない私たち二人には、その問いをする資格のないことに思い至った。この晩に二人が襲われた後ろめたさは、被災地を目の当たりにしての想像を超えた境地だった。
 そしてその思いは被災地を後にしてからも、首都圏に差し掛かって再び想起されられる。どの家もビルも、水平垂直が整然と保たれ、ガラスなど一枚も割れてはいない。SAの車は泥もゴミもない駐車スペースに整然と、どの車もピカピカで。。笑いながら自販機に歩く人の足取りは溌剌として。。この極く当たり前の光景にむしろ違和感があった。300㌔彼方の同じ春に、被災地の家のことごとくが窓を破られ、無人の家に折しもの南風にカーテンだけが揺れていた。その明るさと静寂の中の哀しみ。。クルマという車が泥まみれに重なり、逆立ち、田んぼの至る所にある。。かってないその光景は、そのなかに数日いた私を強い力で染めたのだ。ごく当たり前の光景に、むしろ違和感を感ずると同時に、その何事もなかったかのような平穏。それが無責任な不条理として迫ってきた。
 アントニオがその後も震災地に通うようになったのは、このことが動機ではなかったかと、今となっては想像するのみである。

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(アントニオが山から送ってきた鳥甲の険しい山稜)

 アントニオは高野山の修行を経て真言密教に惹かれた。それは山への畏怖と結びつき月山信仰と重なった。私は無神論でありながら趣味の登山を通じて神秘的な領域、そして彼の修行との接点を感ずる。山を重荷でひたすら歩くとき、ふと無心になる境地がある。それは苦しさの中の恍惚状態かもしれないが、いつのまにかここにいるような感じ、その間の苦行の体感が無い。彼がひたすら経文を唱えている時、自分が唱えている感覚がないというのと同じである。そんな忘我の自分をもう一人の自分が見るような行為というか感覚がある。そこまで行かずとも、山に一人で行くと自分の管理者という、もう一人の自分が現われ叱咤される。つまずいたりすると「だらしねえなあ、何年山やってんだ」と罵られる。同行者がいればそうはならず、他人への見栄や面子が代行する。独りだと見栄も面子もない代わりにもう一人の自分に管理されるのは、山という舞台そのものの構造とも思える。
 独りで歩いている時、何かに見られている感覚がある。動くのは私だけであって、それを周囲の岩や樹木などがじっと見ている、見られている感覚である。その見ている主体が向こう側の無の領域、やがて自分が行く所な気がする。
 アントニオは山へ行ってハイになると必ず電話をくれた。おそらく彼がいちばん大切にしているステージだったろう。
それを話したくなる相手に私が選ばれたのは光栄な限りだった。最近では月山、森吉山、いつもの飯豊。そして秋山郷の鳥甲からが最後になってしまった。
 アントニオは山で何を感じていたろうか。そんなスピリチュアルな境地を彼と存分に話し合いたいと思っていたのだが、コロナによって自粛させられ、更に永遠に機会を奪われてしまった。
 コロナとは何だろうか、社会を営み団結し共同するという人間の唯一の武器であり特質を分断し無力化し、あたかもこの自然の摂理を受け容れよとばかりに。。
ヒッピーのカルチャーは自然主義であり東洋への宗教的志向もある。彼はニューヨークからの視点でことさらそこに帰化したかったのだろうか。
「コロナになってよかった」。。この言葉は被災者に寄り添ってきたアントニオの信条と、自然主義からきたのだろう。
彼がいなくなったいま、物理的な距離はなくなり、却っていつも傍にいるような、あの笑顔がいつも見守ってくれているような気がする

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白根南嶺の末端まで。。想いが沁みついた笊ヶ岳 

執筆者: kazama

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