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2013年12月30日 23時09分 | カテゴリー: 登山

八ヶ岳…大晦日の森

新年といっても、それは人間社会だけの決めごと

他の動物にその概念はなく、岩や森などには

まったく違う次元の時が流れているのだろう


(   阿弥陀岳   )
   何年か前の年末、ジープJ44の友人と八ヶ岳に向かった。彼は奥只見の山に凝っており、また冬は山スキーの季節である。ろくに雪もなく岩だらけで寒いだけの八ヶ岳の縦走など気乗りしない様子だった。

登山口でジープの中で仮眠し、翌朝早く歩き始め、阿弥陀岳の往復を済ませることにする。この日は風もなく、冬山としては拍子抜けするのどかさであり、いつもなら緊張する下りも、なんのことはなかった。

その夜は満ち足りた気分で、慣れぬウイスキーを進められるままに飲んだ。さすがに夜はしんしんと冷えてきたが、ローソクのあかりの灯るテントの中は暖かい。私たちは年の背の静かな山にいる幸せをしみじみと噛みしめた。飲むにつけ友人は奥只見の山の良さをボソボソと語るのだった。

外へ出ると、天の川をさえぎって、翌日縦走する岩稜が黒々と見えた。

(   主稜線縦走路   )
   翌朝は薄暗いうちに出発した。前夜の冷え込みと星空が晴天の約束と思ったが、意外にも曇りだった。中山乗越しに出ると、いきなり西からの突風に襲われ、その場に釘付けになる。主稜線での行動は相当な風を覚悟する必要がある。赤岳の頂上からの急斜面の下りと横岳の狭い岩稜が要注意箇所だ。

岩陰で風を避けながら赤岳を下降し、横岳の通過に気合を入れ直す。風に雪が飛ばされた岩稜にアイゼンをガリガリ言わせながら歩く。岩陰に男女四人のクライマーがいて、仲間一人が突風にあおられ佐久側に転落したという。見るとザイルに確保され自力で上がってくる、女性二人は手を取り合って泣いている。11mmのザイルを肩にかけ、大同心の登攀をしたのだろう、その勇ましい姿とは裏腹な涙に女性らしさを感じた。

横岳から硫黄岳の鞍部にさしかかると背後からの西風が一段と強烈になる。ピッケルを支点に耐風姿勢をとると、却ってそれを支点に放り投げられそうになり、這いつくばって耐えるしかない。風の息を狙って歩数を稼ぐ状態が続いた。しかし硫黄岳から降りるにつれて風が弱くなり、代わりに雪が増えてきた。赤岳鉱泉からテントのある行者小屋までは僅かな上りだが、緊張の緩みと疲れが一気にきて身に応えた。

ザックを降ろしてホッとしていると辺りは薄暗くなり、汗の引いた躰が震えるほどの寒気だ。テントは風に煽られたのか斜めになっていて,設営をし直さねばならない。

今日は大晦日だが、この山の中ではそんな風情はまったくない。今夜はみんな年越しそばを食べ、それぞれの想いで新年を迎えるのだろう。それに引きかえこの俺は、人の親だというのに家族を放ってこの有様だ。今夜もまた狭いテントで有合せのものを食い、シュラフカバーをゴワゴワいわせエビのように丸まって、長い夜を過ごすのか、、、、昨夜の幸福感がウソのように、そんな冷え冷えとした気分になった。

そう思い始めたら急に家のコタツが恋しくなった。そうだ、今日は帰ってしまおう、そして家で正月を迎えよう、山が終わってしまえばもう、こんな寒く殺伐とした谷間に用はない。

友人もそれには異論がなかった。慌ただしく撤収を始めたが、途中からヘッドランプをつけなければならなかった。ザックを背負ったときにはもう真っ暗になっていた。

(   樹林帯   )
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   道はすぐに深い森のなかに入ってゆく。反射するものが全くない森の中は、ヘッドランプの光も吸い込まれてしまう。所々の雪がかすかに白く見えるだけだ。稜線ではあれほど吹いていた風も、ここでは全くなく、立ち止まると恐ろしい程の静寂である。道はカチンカチンに凍っていてアイゼンを脱ぐことはできない。

わずか2時間ほどの行程だが、この暗い森は無限に続くように思われた。なんとなく人のようなものが立っているように見えギクリとするが、それは遭難碑だった。手近な山である八ヶ岳は事故も多く、そんな慰霊碑が実に多い。

後ろからついてくる友人はずっと無口である。今回の山行はなんとなく浮かぬ様子だった。俗っぽい山は卒業した感のある彼だけに無理はない。彼は次第に遅れ気味になり、うつむき加減で黙々とついてくる、今朝からの長い行動で疲れているのだろう。時々アイゼンが岩にあたりオレンジ色の火花を散らす。私も暗いヘッドランプを頼りにルートを外さないよう、ひたすら歩く。

ふと、振りかえると彼の姿が見えない。オーイと呼んでみるが返事がない。深い森に声は吸い込まれてしまい、ただ静まりかえるだけである。戻ってみようか、と思う頃ヘッドランプの明かりが見えた。バテているのか、彼にしては珍しいことだ。

…そんなことを何度も繰り返した。歩きだしてからずっと彼の声は聞いていないし顔も見てはいない。ただヘッドランプの動きと、時折見えるアイゼンの火花が、彼の歩いている証拠である。

私は次第に疑問を感じはじめた。あれはホントに彼なのだろうか、、、呼んでみたのに返事がないのはおかしい。だとしたらあれは誰なのか、、、それは恐ろしい疑問だった。 さっきの遭難碑が頭をよぎった。

もはや友人だとは思えないヘッドランプは一定の距離をおいてついてくる。私は追いつかれたくない心理になった。そう思うとさらに怖さがつのってくる。      少し空が開け、広くなった所で思い切って待つことにした。   ヘッドランプが近づいてくる、しかし表情は一向に見えない。「大丈夫か?、、、」と声をかけてみたが返事がない。   やはり違う、これは友人ではない!!。   ヘッドランプがこちらを向いた。なんとその下には顔がなく、そこにはぽっかりと闇があるだけだ!!   総毛立ち逃げ出しそうになると、闇が口を開いた---「おまたせ」...意外と元気そうな声だった。「   もうそろそろかなあ、けっこうあるなあ   」、、その声は聞きなれた友人のものだった。そしてヘッドランプに幻惑されて見えなかったその顔も、正真正銘の友人だった。

…いつのまにか晴れてきたらしく、木のあいだから大晦日の星が見えていた。         (F)

文章は雑誌掲載分の抜粋、押絵はイラストレーターの鵜沼一郎氏のものです

執筆者: kazama

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