JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.

〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN

  This is a static page.

2014年01月27日 21時29分 | カテゴリー: 登山

京戸山の木霊

20140127-sdim0102_02.jpg
   しばらく冬山に行ってないので雪の上を歩きたくなり、1500m程の京戸山に向かった。アイゼンが見つからず、危険な箇所があれば引き返す(この曖昧さが危ないのだが)ことにしてピッケルだけ持って出かけた。

   長い林道があり、途中のゲート横を通行許可を頂く(?)都合があるのでバイクにする。途中案の定アイスバーンになったが傾斜が緩く何とかなった。雪は北斜面だけ残っている状況だったが、地図に登山道のない尾根なのでトレースはなかった。主稜線に出ると冬木立なので見通しがよく、心地よく雪を踏んで歩けた。

   この山中には、いつも動物の顔に見えてしまう枯れ木がある。

   今日は雪の中に相変わらずの表情でじっとしていた(動いていたら大変だけど)。   人によってはそうは見ないだろうが、いったん顔に見てしまうとそれにしか見えないのが認識の弱さというか恐ろしさである。

20140127-sdim0098_02.jpg

      山の中にはこんな木がいっぱいある。

なぜか生きている木にはこういう「形相」はなく、枯れ木になってからこんな執念じみた表情がでてくる。なんとなく苦悩に満ちたというか生への未練という風に見えてしまう。今日は雪が「目」の部分に残っていてそれが涙に見えたりもした。

それにしてもなぜこうも木と動物の造形が似ているのだろうと思う。

木も動物も重力という厳格なルールのもとに支配されている。おそらくは進化という気の遠くなるような試行錯誤を経て、合理性という唯一の目標のもと、必然的に類型的になったのではないだろうか。、、、と深読みするのが私のいつもの癖である。

   こうしてタイプしている今も、あの漆黒の山中でじっとしているだろう。そのことに驚きや感慨をもつ必要はないのだけれど、やはり不気味であり、また哀れさも感じてしまう。

執筆者: kazama

This post was displayed 1012 times.