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Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN

2022年02月26日 11時57分 | カテゴリー: 登山

北鎌から西穂...間の岳西岩稜にて

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(   北鎌尾根   )

   北アルプスの槍、穂高連峰を南下すると、のっけから最難関、北鎌尾根で始まる。

槍ケ岳から一般ルートになり、大キレットの巨大なギャップを経て奥穂高に至り、厳しい岩陵を南西に伸ばして西穂高に達する。全行程は4日ほど、これだけの長い岩陵は他にはない。

   私はこの縦走を友人と共に目指したが、北鎌尾根というメインイベントが終わり、奥穂高で豪雨に襲われたことを自分への口実として下山した。本当は北鎌で終わった緊張感を、奥穂から西穂への濡れた岩陵を辿ることで再び奮い立たさねばならないのが嫌だったのだ。その時は大して惜しいとは思わなかったのだが、日が立つにつれて自分の不甲斐なさに腹が立つばかりだった。

   山は逃げない、という言葉がある、どういう時に使うかというと、たいてい失敗とか挫折して山を降りるとき、また来ればいいさ、という意味で使う、それが単なるまやかしであることは当の本人が一番よく知っている。こう呟いて帰るしかないのだ。しかし人生はそう長くはない、中年の下り坂の体力で山を見ると、それは膨張する銀河のように遠ざかっていく。

(   奥穂西穂間の岩稜   )

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   数年後の八月、意を決してこのルートを沢に強い友人と歩くことにした。

   私達は混雑する涸沢ルートを避け、岳沢から天狗沢をつめ、西穂と奥穂のちょうど中間点である天狗のコルへ立つルートを選んだ。

コルから稜線を右にたどり、ジャンダルム(前衛峰)を越えて奥穂までの鋭く痩せた尾根の登りは素晴らしい。尾根を構成する灰色の岩をよじ登る手に伝わってくるヒンヤリとした感触は、何万年の体温である。そのガッチリとした手応えは、この地球の骨格そのものから伝わってくる確かさである。それをじかに掴みながらグイグイ登っていくという快感は恍惚とするものがあり、これこそが山登りだという気分になる。

   その翌日、昨日のコースを逆にたどり西穂までの縦走に向かう。奥穂とジャンダルムの間には馬の背と呼ばれる極端な痩せ尾根があり、緊張する。ジャンダルムの頂上は素晴らしく高度感のある所で、ここで朝食と思ったが長い道のりを考え、先を急いだ。

   天狗のコルから先は岩の色が茶色に変わり、もろい感じがする、天狗の頭から振返ると、ジャンダルムからの鋭い稜線が見事で、そこを辿ってきた満足感に浸れる。

   行く手の間の岳の尾根筋は、それとは対照的に茶褐色に風化し、悪魔的な風貌をみせている、折り重なった急峻な尾根は、さながら老婆がマントをまとっている様な不気味さがある。左右が切れ落ちている上に、手を掛ける岩はグラグラでチェックは欠かせない。山全体の風化が進んでおり、登山道の整備といっても方法がなく、結局は登山者の注意力が安全確保のすべてである、ここでの登山者のモラルは、ゴミを捨てないなどという事ではなく、落石を防ぐことが守るべき最優先である。

(   間の岳の声   )

   この縦走のハイライト、間の岳(アイノタケと読む)でオーイと声がした、山ではよく空耳があるので「いまの声を聞いたか?」と友人に聞いてみると確かに聞いたという。声は再び谷の方から聞こえて来る、薄気味悪くなり、辺りを見回した。10メートル程の岩場を登りきり、左へトラバースしている時だった。

「アッ、人がいる」と友人が叫んだ、信州側へ切れ落ちた断崖の途中に確かに人がいる、血だらけの顔で、こちらを見上げている姿には生気がないが、どうやら幽霊ではなさそうだ。シャツは破れ、ザックもないが転落し、一命はとりとめたようだ。 彼は私達を見ると、30メートル程の斜面を登って来ようとする、立っているだけでも危なっかしいのに、非常に危険である、もう一度転落したら元も子もない。   それを制止し、動かない様に叫んだ。

さて何とかして彼をここまで上げなければならない、友人を私がザイルで確保し、彼の所まで降りていって救助することにした、だが岩がもろく落とさずに降りるのは不可能である、落石が彼に当り転落の恐れがある。思案している間にも彼のうつろな行動は気が気ではない。

 ロープを結べるというので危険ではあるが、善は急げでザイルを投げることにした。三回目で彼の所まで届いた、彼は手首に2ー3回巻いただけで上がって来ようとする。生還のロープが垂れて来たのだから無理もない。胴体にザイルを回し、縛らせる。彼はザイルを固く握ったままである、結び目を確認するために手を離させると体がフラリと後に傾きヒヤリとする。解けないことを祈りながらザイルを引く、岩がガラガラと落ちていき、彼も必死で登っているのだろうが何故か無表情である。あと2ー3メートルという所で体がのけぞりそうになり、思わず手が伸びる。私の手に彼がしがみつき、やっと登山道まで上げることが出来た。頭部にかなりの傷を負った様で血は止まっているものの首のあたりまで真っ赤である。

   さて、ここまでは上げたものの後はどうして麓まで下ろすのか?、ここは穂高きっての難所である。再び転落しないように岩にロープを結び、水を欲しがるので差し出すと一気に飲んでしまう。ザックを無くしたのか気になるらしく、私のザックを見て、これは自分のものかと言う。奥穂に行くつもりだったというから出発時間から推測して3ー4時間前に転落した筈である。彼が救助されるまで、ここで介抱をし、最悪の場合、一緒にビバークという事態になるかも知れない。

しかしなんと幸運なことに携帯が通じ救助を依頼できた。

(   手練のホバリング   )
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山小屋への荷揚げのへリが岳沢の上空を飛んでいく、と思ったら左へ旋回し、へリは私達の方へぐんぐん上昇してくる、沢筋をなめるようにしてきたへりは私達の30メートル程前の空間でホバリングし、こちらを観察している。私達は必死に手を振った。へリは確認できたのか身をひるがえして岳沢に降りていった。救助を頼んでからまだ20分程しか経っていない、さすが夏山最盛期の北アルプスの救難体制である。南アルプスとは訳が違う。

「よかったなあ、もう大丈夫だよ」と彼に声をかけた。

しかしその後のへリの動きは不可解だった。何度も谷と稜線を行ったり来たりし、危険とも思える程、谷の奥深くまで近ずいたりした。吊り上げる場所か、降りる場所を探しているのだろうか。やがて隣のピークに乗員一人を降ろし、隊員がやってきた。私達を見るなり

「なんだ、この人だったのか、合図ぐらいしっかりしてくれよ」とイラついていた。フライトで気が立っているのも無理もない。この辺りでの転落事故はまず死亡だそうである、彼のザックがずっと下に落ちていたので、その周辺を探していたのだった。捜索するヘリの側から私達を見れば稜線でやたら手をふるバカな登山者ぐらいにしか見えなかったのだろう。

 吊り上げのハーネスを下ろすためにヘリが近ずき、ザックにしまい忘れたチタンのシェラカップを飛ばされてしまった。

へりは一旦遠ざかり本番の救助のための体勢を整え、再び接近して来る、救助隊員は1名なので応援を申し出るが、急いで岩陰に伏せるように言われる、緊迫した状況の中、ハーネスを装着する隊員に、彼が落ちたザックへの未練を見せた。「そりゃ無理だ、命が有っただけ有難いと思え」と、言われる。

いよいよ彼の生還の時である。離れる時、声をかけた。彼も何か言ったが爆音にかき消された。

ヘリは真剣勝負のホバリングに入る、   パイロットの緊張がキャノピー越しに伝わってくる、ローターの端が切り立った岩に触れそうでハラハラする。

突然ヘリは身をひるがえし遠ざかる、体勢が気に入らないのか、大きな弧をえがき、再度ベストポジションヘにじり寄る。パイロットの視線は一点を見つめたまま、手練の技と集中力の数秒間、彼の体が浮いたと見るやヘリは空間ヘ飛び出して行く、彼が大事にしていた帽子が空中を舞う。彼は怖いだろうが危険なホバリングは一秒でも短い方がいい。

   彼の乗ったヘリは急角度でダイブし、あっという間に降下していった。さっきまでの慎重さの反動か?それとも救助に成功したガッツポーズか?その打って変わった大胆な飛行ぶりには胸のすく思いがした。

   ヘリは松本の方向の空に小さくなっていき爆音も遠ざかっていった。尾根には静寂が戻り、高山植物が風に揺れていた。

   私達はポカンとしてしまった。ヘリも救助隊員も遭難した彼も、一時間ほどの緊迫した時間も、その総てが一挙に飛び去っていったのだ。   この尾根に残された私達には、もう何もすることはない。

   いや、そうではないだろう?私達は我を忘れ、大切なことを忘れていたのに気付いた。そう、空虚なんかではないのだ、   この好天に恵まれた夏の日の、この時間は私達のものだ、前から計画し、楽しみにしていた奥穂、西穂間の縦走は、まだ終ってはいないのだ。

   振り返ると岩影に何かが見える、それは彼を岩に固定した私のザイルだった。5メートル程に切ってしまったので、もう使い物にはならないが、沢登りや子供とのクライミング遊びとか、永年の思い出がしみついたザイルである、そして今日は人助けまでしたのだ、それを山に置き去りにするところだった。   私は一握り程になってしまったそのザイルをそっと,ザックにしまった。

(   F   )
     

執筆者: kazama

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