JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
山村の小学生、遼平は村の消防団に配備されたパトロールに魅了される。
ある冬の夜、隣家の失火による延焼に見舞われ、駆けつけたパトロールの健闘空しく遼平の家は全焼してしまう。総てを失った遼平の胸に残るものは、消失した生家の面影だった。
第二話 分水嶺
( 前上げ走行 )
峠へ通ずる坂道を登ってくるバイクがある。マフラーが破れているのか、50ccのスーパーカブにしては結構な音である。乗っている学生服の少年は、まだ免許証は持っていない。カブ号は見晴らしの良い広場に来るとUターンし、エンジンを切った。バイクに跨ったままで景色を眺めている無免許運転常習犯の少年は、高校受験を目前に控えた遼平だった。
そこからは村のむこうに町が見え、盆地をぐるりと取り囲む山々の後ろには雪煙を上げる富士山も見える。そして目前の村には新築された遼平の家が見えている。
あの火事から五年の歳月がながれていた。
パトロールの小屋は、だいぶ古ぼけてはきたが以前のままだった。
遼平はあれ以来、小屋の中を覗くことは少なくなっていた。パトロールの赤い色を見ると、あの夜の天を焦がす炎と、叫び声と、そしてパトロールの唸りがよみがえって来てイヤだった。
遼平の専らの興味の対象はバイクだった。それは兄の影響である。兄のベンリイ125の荷台には、小学生のころから随分乗せて貰った。パチンコに狂った兄は、町へ行く時には、どういう訳かいつも遼平を連れていった。遼平は退屈で仕方ないのだが、その後のラーメンと、時には映画館で洋画を見られるのが楽しみだった。
兄はたいがいがスッテンテンになり、荷台の座布団に遼平を乗せ、夜の家路を走る。北風をまともに受けながら走る兄の背中に隠れ、兄のジャンパーのポケットに手をいれて寒さに耐える。
「遼平、だいじょうぶか、」
兄は遼平を気ずかう。その優しさと背中の温もりを遼平は忘れない。
バイクに一人で乗ったのは父のスーパーカブが初めてだった。右手のグリップを回すだけで坂道をグングン登っていく驚異に遼平は虜になり、学校から帰ると毎日乗らずにはいられなくなった。無免許とはいえ、家から上の坂道には信号もなければ交番もない。ただ狐がいるぐらいの聖域だったから父親も、とやかくは言わなかった。
遼平は名門といわれる県立高校に入学し、さっそく原付免許を取った。
それはイカロスの翼を手にいれたようなもので、どこへでも行けそうな気分になったが、何はともあれ先に免許を取った仲間達の中に加わるのが先決問題だった。
仲間うちでは「前上げ」というテクニックが流行っていた。今で言うウイりーである。しかし50ccのバイクでやることなど、たかが知れている。 せいぜい5ー6メートル続けばいいほうだから、そう呼べるほどの技ではない。しかし遼平のカブ号は遠心クラッチだから、それすらも出来ず、ただ見ているしかなかった。
そのなかで土建屋の息子が、すごい前上げが出来るという評判になり、その技を見ようという事になった。彼はスズキのアップマフラーの新車に乗っていて仲間うちでは速いほうである。
彼は謙遜しながらも「ここでは狭いなあ」ということになり、町の八百屋の広場までゾロゾロと付いていった。 遼平たちの見守るなか、土建屋の息子は、おもむろにスタート位置につき、これ以上回らない程の空ブカシをした。顔が青ざめているなと思った瞬間、彼はクラッチを離し、一世一代の前上げを決行した。レベルの違うフロントの上がり具合に「ウオー」という声が沸き上がる。これはスゴイと思う間もなくバイクは竿立ちになり、土建屋の息子はハンドルにぶら下った格好のままで八百屋の奥深く突っ込んでいった。
「ガシャーン」という音と共にかぼちゃが割れ、キュウリやナスが飛び散った。
「この野郎、なんてことをするんだ」
八百屋のオヤジが血相を変えて飛び出してきた。土建屋の息子は切れた唇をおさえながら、しきりに謝っていた。
「ブレーキが効かんのか、なんで竿立で突っ込んでくるんだ!」
八百屋のオヤジは怒りと疑問がゴチャ混ぜになっている。遼平たちは恐る恐るキュウリやナスを拾い集めるしかなかった。
「なんだ、おまえらも一緒か!!」
八百屋のオヤジは収まりがつかなかった。-----このあと、遼平たちが学校で、さらし物になったのはいうまでないことである。
( 甲武信岳 )
高校への通学途上に笛吹川にかかる橋がある、遼平はいつも、ここを渡るとき、ある話を思い出す。それはまだ家が焼ける前に、旧い家のコタツにあたりながら父親から聞いた話だった。
「笛吹川をどこまでも遡っていけば、川は子酉川という呼び名に変わる。それはこの川が子酉の方角に流れているからだ。そして西沢と東沢という険しい谷に分かれ、その東沢をつめていけば甲武信岳という高い山にたどりつく、その山頂は甲州と信州と武州の境になっていて、そこに落ちた水は三方に分かれるのだ。甲州側に落ちた水は笛吹川となって駿河湾に流れ、武州側は荒川となって東京湾に注ぐ。そして信州側に落ちた水は千曲の流れとなり、はるばると越後の国まで流れていき、やがて日本海という北の海にたどりつくんだ」-------
遼平は太平洋のほかに北にも海があるということにとらわれた、それはどんなに寂しい海だろうか。南の太平洋に流れていくのなら何か希望がある、しかし行き着くところが北の海というのは何と寂しい旅路だろうか。遼平は生別れになって信州側に流れていく水はかわいそうだと思った。そして甲武信岳という山の頂上を見たいと思った。そこからは日本海という、その海が見えるのだろうか?------。小学生の遼平はそう思ったのである。そしてバイクという翼を得た今こそ、その願望をかなえる時が到来したのだと思った。
遼平は、前上げ事件以来、解散していたバイク小僧集団の一人、杉山にその話を打ち明けた。かれは笛吹川の上流の村に住み、朝に夕に甲武信岳を眺めて育ったのである。
二人は意気投合し、ヒマラヤでも行くかのような興奮状態になっていった。
遅霜の降りた三月中旬の朝、遼平のスーパーカブと杉山の山口オートペットの二機編隊は、合わせて100ccの爆音を響かせ、子酉の方角、笛吹川の源流を目ざし発進していった。遼平たちは高揚していた。バイクというのはこういう風に使うんだ、ぶらぶらとたむろして、下らない前上げなんかして遊ぶ道具じゃないんだ-----。まだ寝ているだろう仲間たちの顔が浮かび、まったく、どいつもこいつも次元の低いやつらだと思えてくるのだった。
いずれダムに沈むという広瀬の集落は、その運命を知ってか知らずか、霜に閉ざされ寄り添うように静かである。残りすくない平穏な朝を分別のない小僧二人のバイクが爆音をまきちらし、通りすぎる。
やがて道は尽き、そこからは軌道が伸びていた、そこを走ろうと思ったが枕木の上はバウンドが激しく無理だった。
「帰るまでここでまってろよ」遼平はバイクに声を掛ける。遼平達の装備のなかで最もヘビイデューテイなのは長グツである。
尾根にとりつく前に、急角度で谷に落ちこんでいる崩壊を横切るところに出た。谷までの高度はおよそ100メートルはあろうか。そしてなんと、わずかな踏跡は青氷で覆われているのである。あそこで滑ったら------
遼平はビビッた。「大丈夫だ、いくぞ」体育の得意な杉山は危なげなくここを通過した。そうなった以上遼平も行くしかない。これは前上げより、よほど恐ろしい。遼平は真ん中で行き詰まり、両足が揃ってしまう、はるか足元に凍った川が見える。
「バカ、そんな所で止まるな」
そういわても方策がない。足がヌルっとし、反射的に木の根を掴むと脆くも抜けてしまう。
「アッ、やばい」思わず杉山から声が出る。
「ホラ、左足をだせ!!」遼平はやみくもに土を掴み、次の足場に移った。
「アー、危なかった」遼平は照れ隠しにそういった。杉山は愛想をつかしたのか、無言だった。
もう二度とここは通りたくない、それには甲武信を早くやっつけて、帰りは雁坂峠まで縦走し秩父往還を降りてこよう。遼平はそう思った。しかしそれはとんでもない構想である。雪のない季節でもそれはたっぷり二日がかりのコースである。そもそも甲武信岳だけでも日帰りは無理がある。勝算ありと見たのは杉山の方だったが、それは雪がないことを前提にしてのことだった。実際遠目にみると黒木に覆われたこの山は双眼鏡で見ても雪がないように見えた。 だがしかし、黒い針葉樹林帯の下には、たんまりと雪が隠されていたのである。 雪はとうに長グツの丈を越え、容赦なく中に入ってくる。どうやらこの尾根に入ったのは遼平たちだけのようでトレースは全くない。二人はラッセルを交代しながら進んだが、極端にスピードが落ち、時間だけが進んでいった。
「どうする?」強気の杉山も、さすがに不安になってきた様だ。時刻は三時を過ぎようとしていた。遼平はもう雁坂峠経由で帰ることは諦めていたが何とか甲武信岳の頂上は踏みたかった。
木の間ごしに見上げると、何となく頂上は近いように思われた。二人は日没と競争するように遮二無二突き進む。やっとたどりついたピークはしかし、甲武信岳ではなかった。
それは一旦下り、更なる急登の先にあった。遼平も杉山も顔を夕日に染め、たそがれの空の甲武信岳を眺めた。
「あれが甲武信岳かーーー」遼平がつぶやいた。
「遼平、もう帰ろう」杉山も甲武信岳を眺めたままでそう言った。
もう一刻の猶予もならなかった。下りにかかると樹林帯の中はもう薄暗くなっていた。二人は押し黙ったまま急いだ。
三十分近く歩いたころ妙なことに気が付いた。確かにここを登ってきた筈なのに、自分たちのトレースがないのだ。それに妙に尾根が痩せている。
「おかしいなあ」二人は顔を見合わせた。辺りはすっかり暗くなり、お互いの顔も良く見えない程になっていた。そこから少し進むと尾根はいきなりストンと落ち込み、数メートルのギャップになっていた。両側は更に切れ落ち、闇にのみ込まれる寸前の深い谷が口を開けていた。
「おい、こんなとこ通ったっけ」遼平が首をかしげた。
「おい、なにかあるぞ」杉山が雪を払いのけたブリキの板には「鶏冠尾根下降不能立入禁止」という文字があった。ここは岩登りのルートであり、尾根の末端は数百メートルの断崖が一気に笛吹川まで切れ落ちているのだ。
「なんでここが鶏冠尾根なんだ?」
二人は狐につままれた思いがした。夜がそこまで来ているというのに、よりによって鶏冠尾根に迷いこむとは。------遼平はゾッとした。
どこで間違えたのか?、二人はどう考えても納得がいかなかった。二人は見逃した筈の分岐を目指し、暗い樹林帯の中へ戻って行った。だがいくら登っても分岐はない。
「どうなってるんだ、これは?」理屈では右に分かれる道がある筈である。
「ここで待ってろ、探してくる」ヘッドランプは杉山の一個だけである。杉山は森の中へ消えていき、枯れ枝を踏む音もすぐに聞こえなくなった。
遼平は闇と静寂のなかに取り残され、じっとしているしかなかった。
杉山はいくら待っても帰って来ない、遼平は大声で呼んでみた。
「すぎやま~あ」-----声は夜の森に吸い込まれていくだけだった。
( 野営 )
その晩9時ごろになって遼平の家の電話が鳴った。杉山の母親から、息子が山から帰らないけれどお邪魔していませんか?という内容だった。
「どうせ、どっかの友達の所へでも寄ってるんだよ」兄がそういった。しかし遼平は10時になっても帰らなかった。事態は深刻の度を増してきた。
10時半になり、それを裏付ける決定的な電話が入った。広瀬村のハンターが夜になっても置き去りの遼平たちのバイクを発見したのだ。
ふたりはまだ甲武信岳のどこかにいる。予報では今夜半、前線が通過し、山は荒れもようとのことである。即刻消防団が召集され、夜明けを待たずに出動となる。車庫のかんぬきが外され、パトロールが目覚める。ブロロロというP形エンジンのアイドル音のなか、慌ただしく医療品やにぎり飯、担架やロープなどが積み込まれる。
「いくぞ!!」ひときわ高まるサイレンの音とともにパトロールが目指す先は、防火の神様、お犬様の住むという奥秩父の分水嶺、夜の甲武信岳である。
その頃、遼平たちは現在地が分からないまま、暗闇にうずくまっていた。
杉山は結局道を発見できず、やむなく二人は再び夕方のピークに戻った。
そこからは満天の星空に甲武信岳の端正なシルエットが冷厳と聳えていた。
二人の胸を激しい悲壮感がおそう。
「遼平、絶対無事に帰るぞ!!」そういう杉山は武者震いしていた。
本来の下山路は倒木の向こうにあった。
「腹がへったなあ」二人は昼から何も食べていなかった事に気が付いた。
残った僅かなビスケットを分け合うと、あとは何も無くなった。
杉山は暗くなったヘッドランプを節約しながら歩いたが、ついに電池が尽きてしまった。
しかし幸いなことに雪の上は薄明るく、なんとか歩けるのだが道を外さないよう細心の注意が必要である。 問題は白い雪が少なくなってからだった。いつのまにか尾根筋を外れていたようで、岩が多くなったようだが足元はほとんど見えず、手探り、いや足探りの状態になっていた。もう道である確証など全くない、どうやらそこは谷のようで狭い空が薄明るく見えた。
遼平の足元にぽっかりと穴があるように見える。それが50センの深さなのか5メートルなのか、さっぱり見当がつかない。それは遼平をひどく不安にした。
「何かあるのか?」杉山が不安そうに言う。二人はじっと足元に目をこらした。
ぼんやりと白いものが見え、かすかに水音が聞こえて来た。それは数十メートルも下からのように思われた。「ここは滝だ!!」二人はゾッとした。急に宙に浮いたような不安感に襲われ、二人は這うように後ずさりした。
「もう駄目だ、動かないほうがいい」
「どうする?」二人は闇夜のなかに立ち尽くすしかなかった。恐ろしい程の静けさの中の、かすかな水音が二人の心にしみていった。
「あの崩壊の前で帰ればよかったなあ-----」
「雪が深くなった所で行こうといったのはお前じゃねえか-----」
二人は落葉の上に座り、そんなことを喋っていた。今朝からろくに座りもしなかった割には疲れを感じないのが不思議だった。
「腹がへったなあ、何か持ってねえか-----」
「お前が食ったビスケットで終りだよ」
「-----」
「帰ったらまた前上げの練習をするんだ-----」
「そうだなあ、あれが出来るとカッコいいからなあ」
二人は沈黙が怖かった。黙っていると山の霊気が二人のあいだに入って来るような気がするのだった。
( P型の誠 )
救助隊は午前0時すぎに現地に着き、林道の終点に本部を設けた。
パトロールは先遣隊とし、更にこの先の石英鉱山跡への廃道を突破し、前進基地を設営する方針である。夜の廃道は二重遭難の危険性をはらんではいるが、鉱山跡からの二人への拡声器とサイレンによる激励をする任務は、パトロールなしでは考えられない。パトロールは全輪にチェーンを巻き、ホースや重量物を降ろし、万全を期して鉱山跡を目指した。その距離は約2km、重量5トンのパトロールぱ4Lにシフトした。
その夜は悪天の前ぶれか、比較的暖かい夜だった。幸いにも天候の崩れは予報より遅れていた。それでも軽装の遼平たちは震えながら体を寄せ会い、寒さに耐えていた。
「いま何時ごろかなあ?」明かりを持たない二人は時間さえ分からない。
「引返していれば、いまごろはコタツ?-----」遼平がそれをさえぎった。
「おい、いまサイレンが聞こえなかったか?-----」二人は耳をすました。
幻聴か-----?遼平はゾッとした。3分ぐらい経つと、また聞こえた。それは断続的に、一定間隔で聞こえてくる、どうやら左の尾根の後ろから聞こえてくるようである。
「広瀬が火事かなあ?」それにしては数分も間をおくのはおかしい。
「あれは救助隊のサイレンじゃねえのか?」確かにそれは何かの信号のようであり、それからもずっと続いた。
「俺達を助けに来てくれたのかなあ」
それは荒海を行く船を守る灯台の火にも似て、二人の心に火をともし続けた。
二人は夜明けを待ちきれずに行動を開始した。しかし飲まず食わず眠らずという山の素泊まりはさすがに消耗が激しく、足元はフラつき腹に力が入らない。
視界が効くようになり地形が見えて来ると右側の尾根は激しく切り立っており、それは鶏冠尾根に違いなかった。二人はいつのまにか恐ろしい鶏冠谷に迷い込んでいたのだ。左の戸渡尾根には登山道がついている筈であるが何処を登ったらいいのか皆目分からない。
遼平たちは一見登り易そうな笹の斜面を選んだが、それが間違いだった。
入ってみると背丈を越える熊笹の中は全く視界が効かず、すぐ前にいる杉山の姿さえ見えない。おまけに笹の茎はツルツルと滑り一向に登れないし、目標物が見えないから進むべき方向も分らない。
腹は減る一方だし自暴自棄になりかけた時、不意に天からのお告げの声があった。
「何をやってるんだ、そんな方ではダメだ、もっと右だ」
それはいったい誰の声であろうか?「5メートル先に太い木が有る、それに登って方向を見定めろ」
神の導きに従ってガサガサと杉山が向かっていくようだ
「あ、見えた」と杉山の声、杉山のガサガサという音を追っていくとひょっこりと登山道に出た。そこには一人のハンターが立っていた。
「熊かと思ったが、やはりお前たちだったか。野宿したにしては元気だなあ、腹が減っているだろう、これを食え」
二人はこれほどうまい握り飯は初めてだった。
「鶏冠谷で二人を発見、負傷の様子なく、比較的元気な模様、いま握り飯を食っている」
二人は無線の交信を聞きながら、これはエライ大がかりな事になっているようだと思った。
ハンターはそこで待機するように言われたようだが自力で下山可能と連絡し、歩きはじめた。
「毎年2、3人ぐらいは鶏冠谷に迷いこむ奴がいて大騒ぎになるんだ、助けるほうも命がけだ、お前たちも登山なんか程々にするんだな」
ハンターはいちだんと頻繁になった無線の交信に応答しながら話した。 鉱山跡に着くとそこにはパトロールが待機していた。
「遼平君、よかったなあ、下でみんながまってるぞ」そう言ったのは、あの火事の時の指揮官だった。パトロールが出動するときはたいがい彼が運転している。車も人もあの時のままである。
火事の頃に比べたら、だいぶ塗装がくたびれてきたが、4輪にチェーンを巻き、泥まみれになったその姿は、鉱山跡という背景のなかでいつもと違う荒々しさを見せていた。こんな場違いな山奥で村のパトロールの素顔を見ることになったのも、みんな遼平たちの無謀登山のせいである。遼平は下へいったらなんと詫びようかと思った。
二人はパトロールのキャビンに収まって下山した。岩や雪の上ばかりに座っていた二人にはベンチシートが極楽椅子のように思えた。
いつもは外してある幌のドアも付いていてキャビンはポカポカと暖かい。
P形エンジンの穏やかな鼓動は居眠りをさそうような心地よさである。
遼平は思う、このエンジンが6年前のあの夜、あれだけ苦しそうに唸っていたことを-----。
その誠実な緩急の変化は機械というものの素晴らしさである。
機械には邪念がない。造り手の人間にさえ真似のできない真の誠がそこに有る。真似が出来ないからこそ、人は機械にそれを託すのだろうか。
廃道の倒木や岩石は昨夜の内に取り除かれている。そこを殊勲の救援を果たしたパトロールが悠々と下ってゆく。
一睡もしなかった二人はうつらうつらし始める。
遼平はいつまでもパトロールのキャビンの心地よさに包まれていたいと思うのだった。
第二話 おわり
執筆者: kazama
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