JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
漠然とマッターホルンを目標とし、高山病に弱い私は訓練を兼ね、
いつも富士山は山じまいの後9月になってから登った。
10年前の9月12日の午後から山頂を目指し、異様に美しい夕焼けのなか山頂についた。
風が強かったので測候所脇にテントをはった。
夜半過ぎからテントが飛ばされそうな程の雪混じりの暴風になった。外に一歩もでられないばかりでなく、布地を破れないよう風上側に背中をつけ守らないといけない。突破されたら零下の暴風雪では危険である。気温は相当下がったはずだがテントを守るのが必死で寒さを感じなかった。
はてしなく長い夜になり尿意を催すがテントから出られないのでコンビニの袋にした。
普段なら日本最高所で寝ることに高揚感があるのだが風雪になって自分の無謀さを悔いても遅い。
風の中、ときどき聞きなれたジープのエンジン音がする。まさかこの暴風のなか富士山頂に登ってくるわけがない。朦朧とした意識で、そんな堂々巡りをなんども繰り返した。
それは測候所の風速計の音だった。高山病の低迷した意識の中で、その音を自分に経験のある、そうであってほしい音に聞いてしまうのが人間の弱さと不確かさである。
うす明るくなってすこし風が弱まったようで撤収のチャンスである。
とにかく素早く、整理などどうでもいいからザックに詰め込み、テントをなんとか回収できた。
山頂は5cmほど積雪したがアイゼンを持っていない。ふと滑落をイメージするが、この風の息に降りるしかない。
富士宮口9合目までの岩場の急斜面に緊張する、凍った岩をホールドする手が吸い付くようで凍傷が気になるが、かまっている暇がない。
風が再び強まり、逆風で富士宮口の方向にどうしても進めず押し戻されてしまう。この強風のなか、岩稜で吹き飛ばされたら大怪我では済まない、ここは荷揚げ用のブルトーザー道を降りるのが安全だろう、宝永火口を横切って富士宮口に戻ればいい、そう考えた。
それは正解だったが最後の宝永火口への尾根の乗っこしが難関だった。下りすぎて登り返した火口の尾根は激烈な風で乗り越えられない。
何度も押し戻され風の息を狙う。顔を上げると小石が飛んでくる。しかしここを超えないと富士宮口へ戻ることは不可能になる。これが私がこれまでの生涯で受けた最強の風だった。
なんとか乗り越え火口の中へ降りていくと風が弱まりホッとした。昨夜からの緊張が解けた安堵感はさながら富士山の胎内に保護されたような感じだった。帰ってから案の定左手の指全体が痛く、凍傷と診断され手当を受けた。
振り返ってみてかなりきわどい登山だったと思うけれど懲りたという気まではしない。登山とはそんなもんだという想いもある。
面白いのはあの長い夜に聞いたエンジン音がジープJ3のJH4という形式のものだと決めつけたことだ。風速計の音なのにそう思い込めばその音にしか聞こえなくなる。
もしやJ3が富士山頂測候所で働いていた時代があって、あの暴風のなか時空が戻ったのではないかと思いがかすめる。窮地においこまれた人間はじつに妙な認識をするものだ。
いまでもあの長い夜のことを思い出せばJH4の苦しそうな唸りが聞こえてくる。
20131020
執筆者: kazama
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