JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
This is a static page.
富士山頂剣ヶ峰にて、風間富士子の遺影。
富士子は昭和19年に生まれ。翌20年、戦後の食糧難の栄養失調で母子ともに伝染病に感染、父はまだ復員しておらず、まだ小学生の兄と姉が看病をするが、妹の富士子は2歳を前にして死亡しました。
姉の耳に母が富士子を呼ぶ声が遺っていると言います。
富士子には写真がなく、父が描いた似顔絵が、この世に残る唯一の面影です。 面影を知る兄は・時折酒を呑むと、妹の富士子が不憫だとつぶやきます。
わずか2年にも満たない命に病苦は容赦なく、その泣き声は兄の胸に今も突き刺さっています。その短い生涯に、この世に生まれた甲斐はあったのか、ひとときでも幸せの時があったろうか…兄が富士子を頭の上に乗せると「キャッキャ」と笑ったと言う…せめてそのひと時だけは幸せな瞬間ではなかったかと思うばかりです。
( 富士子の遺影に浅間神社の御朱印を押してもらう )
父が命名した富士子に・その名に因んだ富士山を見せようと・遺影を持って登りました。
富士山の全貌が見渡せる場所で・また満天の星空に・富士子は瞳を見開いて見ているようでした。
富士山には過去20回ぐらい高所訓練を目的で登りましたが・富士子との登山は背中の遺影と語り合う・最も感銘深いものになりました。
父母も亡きいま・在りし日の富士子の面影を知るのは兄と長女の姉だけになりました。しかし私たち兄妹が想うとき・富士子はこの世に存在することになります。誰も想う人がいなくなったときに・本当にこの世に存在した証が亡くなってしまう、、、
その日まで、2歳に満たなかった富士子を偲ぶのは・私たち兄姉の務めであります。
執筆者: kazama
This post was displayed 1722 times.