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2024年08月22日 14時50分 | カテゴリー: 登山

涼 二千二十米--- 

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白根南嶺を笊ヶ岳まで歩く途上、転付峠の石碑に、こう彫ってありました。

転付峠は山梨の早川から静岡の大井川の源流域へ越える旧い峠道、行程は7-8時間程。二軒小屋に入るなら椹島経由より案外な近道でもあります。

かって、登山目的ではなく生活のために資材を背負ったこの道筋はどんなにか苦役だったことでしょう。
峠に辿り着き、沢筋から吹き上げる風にひと時の涼を得る。それがこの長い行程の唯一の楽しみではなかったかと思うのです。
 石碑に「涼」と彫る、そのことの優しさ、そして粋さに感銘しました。

それ以来、漢字のなかでいちばん好きな字になりました。子供に命名する前ならばきっとこの字を宛てただろうと思いました。

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『涼』…想えばそれは暑さあっての涼なんですね・涼だけなら快感でもなんでもない・暑さのなかではじめて成り立つ感覚です。『暖』なんかも同じことが言えそうで・このことには普遍性を感じます。
もっと飛躍して苦がないと楽もない・登山は完全にこのM構造になってますね(笑)
さらに不幸があるからこそ幸せがある…これはドフトエフスキーに共感した部分です。アインシュタインもファンだったらしく・ものごとはなんでも相対的評価なんですね・まさかそれが相対性理論ではないですが(笑)…
さらに極論すれば『死』という不幸があるから生きる輝きと幸せを感じられるんでしょう---
『死』は厳然たるベースであり・無意識のうちにすべての感性の根っこになってるのだと思います。


2019/8/19

執筆者: kazama

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