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2015年10月14日 17時22分 | カテゴリー: 登山

       北岳の海

--- 北岳の海 ---

死の淵をのぞいていてきた人の話を聞くと、驚くほど共通した部分がある。

しかしそんな世界があるのではなく、脳の幻覚によるものではないかと思う。

だとしたらなぜ似通った幻覚を見るのだろうか?。

それは人という動物が辿った進化の過程に遠因があるような気がする。

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---大樺沢---

 私がまだ20代の十月の北岳でのこと---

単独嗜好の私にしては珍しくパートナーとの登山をした。同行した会社の同僚は、以前から山が好きなことは知っていたが、一緒に登山するのはそれが初めてだ。

私はなぜか体調がいまいちだったが、約束なので新宿発の夜行に乘った。

 天気予報では南方海上に遅い台風がいたが、まだ影響はない。彼は北岳は初めてで、私の方が山の経験ありそうだ。

連休というのに登山口の広河原には人影は少なく、北岳は雲に包まれて見えない。

 私達は急峻な大樺沢をつめ、八本歯という痩せ尾根を経由するルートを選び、私が先頭にたち歩き出した。なんとなく気負った私のペースは早く、「ちょっとペースを落としてくれ、」と彼に言わせる程だった。

二時間程で樹林帯を抜け、北岳の上部が見渡せる岩のうえで一服する。

大樺沢には人影はなく、雲は益々重苦しく空を覆っていた。 出発して間もなく雨が落ちてきてカッパを取り出さなければならない。想定していたとはいえ、滅入ってきた。登りの雨となると、ゴアテックスであろうが何であろうが汗でムレムレになってしまう。

 夜行列車で眠れなかったのと、体調不良、いままでの気負ったオーバーペースがたたったのか、私のペースはがっくりと落ち、しばしば立ち止まるようになった。彼は無言のまま私の後で待ち、それは私へのプレッシャーになった。

「先を歩いてくれ」と彼を促し、それから逃れた。後になるとさらにペースは落ち、彼との距離は度々開いた。その度に足を止め、私を待っていた彼がついに口を開いた、「どうした?」____。この一言で形勢は逆転し、リーダーは彼に移行した。

 雨は止む気配はないどころか、益々激しさを増し、所々に小さな流れを出現させ始める。ラジオによると南方の台風が速度を増し急に接近して来たらしい。

今や気負いもプライドも失せた私はその雨の中をノロノロと歩く。

 普段なら小川ほどの水量の小さな沢が増水して膝下までの急流になっていて、渡る時バランスを失いかけヒヤッとした。こういう時のスタミナの消耗は驚くほど大きい。 それを境に私は戦意喪失し、夢遊病者のような有様になり始めた。前を行く彼の姿が小さくなっていき、その向こうの急峻な大樺沢上部を見上げると、絶望的な遠さに思えてくる。

 みぞれ混じりの雨は激しさをさらに増し、至るところに流れが現れていた、そこは急峻な沢の真ん中である、そして頭上は600メートルの壁、北岳バットレスに押えられている、巨大な壁からの恐ろしい落石は、この狭い通路に集中する。こういう所はスピーデイに行動するのが鉄則である。

 私を待つ彼の顔に焦りと苛立ちが見えて来た、彼は私を前に立たせ、後ろからの監視と追い上げを図った。

 激流を渡ってしまった今、もう引き返すことは出来ない、何がなんでも標高差600メートルを克服し、北岳稜線小屋まで辿り着かねばならない。私には、そのことも落石の怖さも充分に分かっているのだが何としても息が続かない。 雨を吸ったテント装備のキスリングは肩に食い込み、クソ重たさは放り出したくなる。

 私は100メートル程しか続けて歩けないようになっていた。うなだれて立ち尽くす私に「よし、あと一分休んだら100m歩け」と彼が言う。

そんな事をいくら繰り返しても尾根は一向に近ずいて来る気はしない。わたしは次第に雨など気にならなくなり、いくらでも休んでいたかった。

--- 父の海 ---

 よたよたと歩く私は、丁度水の流れているところでつまずき、倒れこんだ。衣類の下に水が流れ込んできた、不思議と冷たさは感じず、むしろ気持ちよいぐらいだった。私は立ち上がる気もなく流れの中へ座り込んだ。

 うっとりするような安らぎの中で、まどろんでいると、静かさのなかに潮騒が聞こえていた。

目を明けると海が広がっていた、そこは誰一人いない白砂の海岸だった。空も海も灰色で境界は定かではなく、そのなかに見覚えのある帆掛け舟が浮かんでいた。

それは子供の頃、よく見ていた気がする。そうだ、あれは絵の好きな父がよく書いてくれた船だ、父はこの海にいつか来たことがあるのだ。 私は懐かしい思いで胸が一杯になった。

 そうか、俺は海に来たのだ、なんという馬鹿な勘違いをして、こんな重い荷物や登山靴を履いてきたのだろうか、あの白い帆掛け舟で、ゆったりと父を偲ぶ船旅をするというのに____。

それは真綿に包まれて眠るような幸福感だった。

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 誰かが呼んでいるような気がした。こんな良いときに何とわずらわしく、せわしない声だろうか、そしてガツンという衝撃がきて、景色が変わった。そこは海ではなく、雨降る北岳だった。

「何やってんだ、しっかりしろ!!」。彼はそう罵りながら、私の頬に平手打をくらわした。私は流れの中に座りこみ、尻の両側に水しぶをあげたままで、眠ったのである。その状態はさすがに異常であり、これはヤバイかも知れないと思い始めた。

 彼は強引に手を引き、私を立たせた。「ありがとう」と言ったつもりだったが声は出なかった、いつのまにか寒さで硬直し、喋れなくなっていた。

 さすがの夢遊病者も命が危ないとなれば少しは頑張る、だがそれも100メートルとは続かない。

大樺沢はこの辺りから急に傾斜を増し、八本歯のコルへ突き上げる最後の200メートル程は壁のように見える、私はそれを見上げると、へなへなと座りこんでしまう、するとたちまち眠くなる。

彼の叱咤の声、「しっかり歩け!!」彼も必死である。私は50歩程歩き、また立ち止まる。

「上を見るな、50歩でいいから歩け」

 気の遠くなるような、本当に気が遠くなりながらも私は登り、彼はそれを叱咤し続けた。「よし、あと10メートルでコルだ、」やがて目の前の地面が白い空間に変わり、風がまともに吹き付けてきた。八本歯のコルにたどり付いたのである、ここからはきつい登りはない。

「風が強いから飛ばされないように」そこから私はいくぶん回復したかの様だったが、こんどは歯の根が合わない程の震えが始まった。ここは標高3000メートルの痩せ尾根である。立ち止まると胴震いがするほど寒くなった。転落の怖れがあり、漫然とは歩けないだけに、いくらかシャキっとしてきた。 彼は私の行動に細心の注意を払いながら先を歩いた。左右の切れ落ちた岩場があった、見上げると、その岩の最上段に彼は立ち、勝ち誇ったように私を見ていた、激しく流れゆく雲を背にしたその姿はなんと男らしく、また筋金いりの山男ぶりだった。

 私達は薄暗くなるころ山小屋へ逃げ込んだ。台風は予想外に速度を早め、今夜半に上陸するとのことだった。

その夜、暴風雨は一晩中吹き荒れた。小屋は胴震いし、みんな倒壊に備えて荷物をまとめ、カッパを着込んで、まんじりともしなかった。

--- 台風一過 ---

 台風が去っていったその翌日、私達は再び大樺沢を下った。谷は台風の爪痕で大荒れだったが私の体調は回復していた。

 私はこの谷を下るあいだじゅう、彼と対等には口を聞けない気がした。彼はそれを知ってか知らずか、しきりに次に行きたい山のことなどを話した。

 私が倒れた流れはすっかり小川ほどになり、周囲はただ乾いた窪みになっていた。

ここで私は海を見ていたのだ、そして、そこには懐かしい船が見えた。

あの例えようもない安らぎと幸福感はなんだったのだろう、それは今までのどんな体験でも感じたことのないものだった。

 眠ったといってもたかだか十秒間ぐらいのことである、それにしては余りにも深遠な世界だった。

山にあって海を想う、そしてそこに懐かしさを感じたのはなぜか、もし彼がいなかったら、私はあの海に向かって行ったことだろう、それは死を意味したのかもしれない。

そうだとしたら、死ぬ間際というのは、あんなに甘美な陶酔感に包まれるのだろうか、苦しんで苦しみぬいた末、最後にはあの様な安らぎが訪れるのだとしたら、それは大いなる救いである。

単にそれが脳が活動を止める一過程だとしても、そこに慈悲というものの存在を感じてしまうのである。

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 あれから数十年、私の命の恩人の彼はかなり出世した。多分、私を八本歯のコルまで引きずり上げた様に、部下に対して飴と鞭を使い分け、育て上げたのだろう。

エリアも部門も違ったのでそれからは彼と合うことは殆どなかった。

 彼が定年退職の送別会のお知らせがきた。離れていて参加出来ないが、私は北岳のことを短くまとめ。私の命の恩人のエピソードとして披露してくれるように司会に依頼した。

 あの若僧が、いまはどんなに老けこんでいるのだろうか。会えばたぶん恩着せがましく「あの時は参ったよ」とか言うだろうが、とうの昔に時効である。

ただ彼から見た私は、「口ほどではない登山者」という評価を生涯にわたり受けるしかない。

(f)

執筆者: kazama

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