JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
寒々とした広河原から、下山する数人の登山者を乗せ、甲府行き最終バスにのった。
もうほとんど暗くなった芦安駐車場につくと初老の登山者が訊いてきた
「駐車場はここでしょうか」 閑散として暗いので不安になったのだろう
「ここしかないですから大丈夫ですよ」 そう答えると「ありがとう」と降りていった。その先にステーションワゴンがあり、そちらへ歩いて行った。
翌日は芦安始発の勤務だったので、まだ暗い朝に駐車場へ着いた。
昨日のステーションワゴンがまだポツンと置いてある、はて、あの車で帰ったのではなかったかと怪訝に思い、もしや車中泊かと車内をみたらシュラフらしきものが有るがその気配はなかった。
8時頃に出勤してきた人によると、あの車は下山予定を4日過ぎ、捜索願がでた登山者のものだという---するとあの初老の方は何で帰ったのか---そう思ったが、たぶん広い駐車場のどこかに車があったのだろう。
なんとか生還を、もし万一叶わないとしても冬季閉鎖までには発見されて欲しいと思った。
果たしてその二日後に登山者は滑落事故死で発見された。
初老の単独行、入山した日程からして北岳と甲斐駒は登られたのだろう。
不運にも事故に遭われたとはいえ、この時期に単独で高山を目指すという憧れと気概は、同世代の山好きとして共感してしまう。せめて捜索に日にちを費やさなかったことは幸いだった。
ポツンと下山を待つかのような車は数日後、回収されたのか無くなっていた。
雪が遅かったとはいえ、12月となれば白峰三山は真っ白である。
登山バスの仕事がおわり、振り返ればバスはいろんな喜怒哀楽を運んだ。
車内に満ちる、山に向かう登山者の期待と、山を後に日常に帰ってゆく満足感が好きだった。
バスは登山の幸せを運ぶものでありたい、しかし不幸にも山を降りるバスに乗れなかった方もいて、そのことを想うと胸が痛い。
しかしなぜか、初老の登山者のケースには陰惨さがない。年齢を考えればむしろ、山への憧れと、その純真に触れたような後味がある。
夕暮れの駐車場で、あの初老の登山者とのやりとりの、その品格のある穏やかさが、あたかも感触であるかのように、私の心にいまも残っている。
執筆者: kazama
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