JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
単身赴任先の静岡から、遠路北陸の能郷白山に向かった。
この頃は森林限界が低くメルヘン的な北陸の山に惹かれていた
豊富な残雪と美しいブナの林を抜けると山頂が見える
そこに空があり 白い雲がある 山は空に接するところ
手を伸ばせばそこが空のような 胸焦がす空への憧れ
けれど山頂に昇りつめれば 空はまた 遥かな高みに遠ざかる
山頂にはこんな空はなく ただ深遠の その下に地上がある
そのさめざめとした 一種の虚しさのような心持。。
それを知っているから 今のこのしあわせを ぐずぐずとかみしめる
能郷白山頂から奥美濃の山なみ 揖斐川の源流
豊富な残雪の南面につながる前山の山稜
そのブナに覆われた 魅力的な山容
この尾根を歩いてみたい この世の至るところ青山在り(笑)
草原状の山頂の一角にスペースを見つけ、早々とテントを張った
あまりの好適地に ご機嫌で写真を撮る
草地に足を投げ出し 西洋人のように日光浴を気取る
青空の下、北陸のブナの山々が雲海に洗われていた
およそ考えられる、これ以上のものはない幸せの構図…
この日は息子が大阪へ 新幹線で採用面接に向かう日だった。
活況だった雇用状況がリーマンショクで一転して悪化
関西にまで活動範囲を広げざるを得なくなった
親としても関東にいてほしいのは山々であるが。。
いちばん大切な時期に、息子の世代にやってきた社会の激動
この青空の、この雲の下を、息子はどんな想いで関西に向かうのか…
「太陽がいっぱい」のような 幸せな構図の裏側の哀しさ
親の無力を噛みしめ 黙念と過ごした時間だった。
しだいに雲海の潮が満ちてくるような。。
この林相と たおやかで深遠な山容。。
寄せる雲 山霧に暮れてゆく山。。
いつしか日は西に傾く
広大な雲海の果ては日本海。。
僅かな残光がテントを染めて 全ての輝きが去ってゆく
暮れる山に独り とり残される この孤立感こそ山のエキス
2010/5/30 未来永劫やってこない 今日という日
確かにあった この日の時空は 西方浄土へと行くのか
一夜を横たえたこの世の恩 この僅かな平地に 黙礼し去る
帰路の九頭竜源流から郡上八幡へ 私には珍しくオープンにした
23万㌔走ったロードスターNAの、これが最良のドライブだった
九頭竜湖への清冽な源流を渡る 5月末の めくるめく晴れた日
およそこれ以上鮮烈な春の日は、その後なかった気がする
前夜の能郷白山の静寂から一転し、この希望に満ちた陽光と空
この新緑の右へ上る尾根を見上げ、あそこへ行きたいと憧れる
行けばただの緑の樹間であることは分かっているのだけれど。。
空と接することへの価値観は 頂上直下の空の見え方と同じもので
それは山へ対する幼いころからの憧れの 原点なのだと思う
このことは この青い空への憧れに外ならず、遺伝子のものだ
このとき聴いたのか定かではないがピンクフロイドの
GREEN IS THE COLORという曲とこの光景が強く結びついている。
この写真が今も部屋にあって、この曲を聴くと、この日の幸せが蘇る。
音楽は理屈抜きで、その刷り込み現象のような強い作用に驚かされる
生きる意味だとかいうが、この空の下で生きられるだけでいいと思う。
下は昨年の晩秋の暮れなずむ頃 ここを通った折の情景
あの時の希望に満ち溢れた光と空が この凋落の秋
四季のある国土故に 生者必衰や諸行無常といった
私たち日本人の感性を生んだのだろう 心は自然に育まれる
執筆者: kazama
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