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2016年05月26日 22時00分 | カテゴリー: 登山

  --- 月いづる山稜を歩く ---

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山梨へ引っ越して三年になり、未知の尾根筋を歩くつもりが中々進まない。

見通しが良い冬枯れの時期が良いのだが新緑になってしまった。緑が鮮やかな内にと2回に分け、家から見て月の出る尾根を歩いてみた。月の出はロマンチックでその尾根があたかも桃源郷みたいに思えてくる。行ってみれば何の変哲もない雑木林なんだろうが---

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こういう登山道のない山はどこを歩くのかを見極めるのが重要で、現地に行ってみるとそこが目指した山稜なのかどうか分かりづらい。道のないことを覚悟とはいうものの植林と自然林の境目は作業道の名残があったりして助かる。

アプローチにはバイクが良い。屋根がないので上方の視界がよく尾根の見極めがし易い。登り口を探すにもUターンが簡単だし置き場に困らないのもいい。

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一週間前に北から目指す顕著なピークへ向かった、不明瞭ながら踏み跡もあり藪漕ぎの苦労もなかった。

何個かのピークがあったが、それが家から見えるものだか分からないので更に南方のピークを踏んでおく。これより南にはピークのないところに三角点があり、三角コンバと銘打ってあった。コンバとはなんだろう?。こんばんは、でもあるまいし、ましてやコンパではない。角のことをコバというからそんな意味だろうか。

多分ここが家から見える月の出る山だろうと思い、セミの鳴き始めた静寂境で満足感に浸った。

帰りはGPSの軌跡があるので不安もなくバイクに帰り着いた。

 家について方位を確認すると間違いなく見えるピークに立ったことが分かった。ああ、あそこに行ったのだ、という山登りの原点の喜びに浸ることができた。いつも見える尾根が未知のものなのか行った所なのかでは、その見え方が違ってくる。

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(三角コンバの南山稜を目指す)

 朝夕みえる三角コンバを登った山として眺める満足感に浸っていたが、南の山稜も歩かなくては片手落ちであり、真の満足感は得られない。天気もいいし、まだ緑も濃くなりきっていないので見当を付けておいた林道をバイクで向かった。

たぶんここだという尾根の末端でGPSを起動しようと思ったらどこにもない。家で見た後置いてきたらしい。無論25000の地図もない。道も確証もない尾根を手ぶらで歩くのか---おまけに万が一のサバイバルとしてのストックも忘れた。普段使う習慣はないが骨折してストック頼りに帰還した手記を読んでから藪山には持つことにしたのだ。

しかしそれで帰るには忍びない、慎重を期して登ることにした。スマホのアプリでせめて軌跡を引くのがないかと探したが解らなかった。

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歩き始めて驚いたのは素晴らしい道があることで、おまけに赤テープがいっぱいある。こういう明瞭な道でテープの在るのはなんでだろう。こういうのに限って不明瞭になると消えてなくなるものだ。

道が薄くなってから案外なアップダウンがある、大きなピークを下るとかなりな急斜面があり、半ば強引に登った、下りは要注意だとマークした。案の定テープはからきし無くなった。しかしその性質上、難所を抜けないと正解かどうかわからない。難所の中にテープがないのは無理もないことではある、丁寧にするなら戻ってテーピングするしかない。

その後も何度かピークがあり、それを記憶しながら歩く、 往復だからといって、後ろを見て歩くわけではないから帰路の道迷いは山の定番である。ことに分岐点やら方向を変えた時は必ず振り返って景色を記憶しておく。また狭い尾根ならいいが、広くなった山腹などでは平凡なところを歩かず、その際というか端を歩いたほうがあとで分かりやすい。とはいうものの、こういう山をGPS頼りに歩くようになってからは配慮が薄くなった気がする。たぶんピリピリとした勘も鈍っているだろう。得るものがあれば失うものがある、というのは世の定めである。

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 予想外の距離を歩いて着いたピークが、たぶん三角コンバだと思ったが様子が違う、さらに進むと下り初め先がない、戻って見るとやはり三角点を発見した。この一週間で緑が俄然濃くなり、暗くなって様相がまったく変わっていたのだ。

すっかり蝉しぐれといった初夏の様相で、爽やかな微風のなか、月いずる尾根にいる満足感に浸った。帰る時、いつもの習慣で、もうここは二度と来ないだろうという想いで振り返った。しかし待てよ--ここは本命の冬枯れに、しみじみ来たらいいだろう。まして家からも近いし、朝な夕な見て暮らしている山稜である、もうこれきりはないだろう。それどころが満月の月明かりで落葉をふみしめかさこそと--- なんてのはたいがいプラン倒れに終わるのだけれど。

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執筆者: kazama

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