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2016年06月04日 20時36分 | カテゴリー: 登山

 月いづる山稜を歩く(2) 消えた標識

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先週2度に分けて三角コンバという無名に近い山域を歩いた。

その尾根に北方から接続するのはいくらか人の入る日川尾根になる。

と言っても源次郎岳という山梨百名山があるだけである。

それを歩けば広義の日川尾根をトレースしたことになる。

バイクを置き、源次郎岳への踏み跡に入る、源次郎岳は尾根の西方に鞍部を隔てているので帰路に時間が余ったら登ることにする。

以前は木立の中の静寂境だったが前回いったら大幅に伐採されていて大展望だった、展望の為の伐採だとしたら無粋なことである。殺伐として風情はまったくない、山は登山者だけのものではない。

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 分岐から先は急に踏み跡が薄くなる。同時にブナの巨木が現れ幽玄な雰囲気になる。踏み跡はピークを巻いたりするが、こういう山行では極力道を外れピークを踏むことにする。そのほうが後で振り返っての満足感が違う。それに時間がかかっても尾根を辿ればルートを大きく失う心配はない。

ときおり樹間から、私の郷里のあたりの里がみえる。子供の頃から東に見えて、月の上がるのを眺めた山稜を今こうして歩いている満足感に浸った。

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 幾つかむかしの峠を通るがその痕跡はまったくない、山梨には時代の彼方に消えた峠が無数にある。最終到達点を長兵衛小屋の南にある砥山というピークにする。地名などに名を残す人物は善人や偉人なのだが長兵衛は峠を越える旅人を殺し金品を奪ったという、真偽の程は不明だが何故そんな人物名を遺したのだろうか。

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 砥山のピークをGPSにより割り出し、適当に東進すると30mほど先に青色の標識が見えた。こんな山に立派な標識とは意外だった。---

しかしちょっと目を離すと見失い、二度と発見できなかった。どこを探してもない青地に白字の標識は、なんと私の脳が合成したものだった。

これに似た錯覚はよくあることである。しかしもっとずっと悪条件での心理的作用である。冬山の烈風の中、石ころや木の根が小屋の屋根にみえたり、疲労困憊の下山のおり、白いものが林道のガードレールに見えたりと、つまり有って欲しいものを見てしまうのだ。

しかし今日のこの、未知の尾根とはいえ、この穏やかな山行でそれが起きるとは驚きだった。人間の認識の危うさは、山にかぎらず無意識の内に、あらゆる場面に潜んでいる。

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本当の砥山はその西方にあった。なにもない砥山に10分ほど滞在し、帰路についた、極力往路と違うルートを辿ったため、日は西に傾き初め、斜光線の尾根筋は新鮮だったが、源次郎岳にはとても寄れなくなった。

バイクについたらすでに薄ら寒く、早く高度を下げて暖かくならないかと思えば長い帰路だった。

走りながらしきりに浮かんだのは、あの青い標識だった。

常々思うのが、事実といってもそれは認識にすぎないということである。

あらゆる事象が、あぶなっかしい認識というプロセスを経なければならない。

それが機械と違う生身の所以であり、厄介な部分である。

しかしそれが、機械にないロマンを産んだりすることになる。    (F)

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執筆者: kazama

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