JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
北岳のボーコンの頭に泊まるつもりだったが積雪の吹きっさらしに気が萎えてアサヨ峰に変更した。
北沢峠から若い男女が二組ほどいて、CMで話題の栗沢の頭に行くという。私が宇多田ヒカルを知らなかったのは相当なことらしい。
栗沢の頭から一旦下り、アサヨ峰にかかるころ、かなりな強風になり、テント設営は不可能そうなので滅入った。
予定が総崩れついでに、もう家に帰ってのんびりしようと引き返す。しかし栗沢につくころに風が弱まり、何のため背負ってきたテント一式という気になった。ここで荷を下ろすだけで栗沢の頭の夜が手に入る。強風という鬼の来ぬ間にあたふたと設営した。
転がり込むと待ってたようにバタバタと強風が始まった。今朝から腹が決まらず気合が入らないと同時に食欲がない。殆ど飲まず食わずで登ってきた。
何もする気にならないまま凍ったようなおにぎりを義務的に食べた。せめて温かいものをと、コーンスープを沸かした。
暗くなってからバラバラと音がして白いものが転がり込んできた、通気口からのミゾレだった。いくらタオルなどで塞いでも強風に突破される。
地面は岩盤なのでペグが効かず、ストックや枝を石で押さえて支点としたが風上側が浮かないか気になる。私自身がウエイトとしてテントを守る役割である。こうなったら出ることは許されず、気になるのは小用だがコンビニ袋にする覚悟を決める。
凶暴な風がやってきたとき,風上のテントの生地が破れないかが最大の恐怖である。そうなったら万事休す。初冬の富士山頂では生地に一晩中背中を押し付けて風から守ったことがあった。
まだ夕闇が訪れたばかり、たぶん眠れないだろう長い夜を思った。
何もすることがない、この屈辱的な夜はなんだろう。狂おしいまでの風の音が胸をしめつける。唯一の支えが、富士山の3770mでの暴風時よりまだマシだということだ。この栗沢は2700m。。過酷な体験は平常心のリミットをあげる効能はある。
過酷極まるこの状況、しかしそれも遊びでのことだ、すきこのんでやってるだけのこと、嫌なら辞めればいい。これぞ野趣の極みという気にもなれる。
時おり数秒間程の風の息があり、そのときの静寂感は例えようもない。でもテントの端っこだけがひたひたと音がして、あたかもテントの精気のようだ。
再び凶暴な風がやってきて、体ごと揺さぶられる。風の音の中にふと、女のすすり泣きのようなものが聞こえることがある。
ペグの代わりの木の幹が、紐と摩擦してそんな擬音になるらしい。いったんそう聴いてしまうと益々そう聞こえる。たんなる摩擦音を自らの脳によって彩ってしまうのが人間の弱さである。
テントの中ではそんな音をきいてきた。うつらうつらしている状況だとさらに度が過ぎる。小学生の賑やかな子供たちの声がして、遠足で上がってきたかと嬉しくなって時計をみると午前二時。。何をバカな聞き違い。。そのときの寂しさったらない。
また風の音を押し寄せる波の音に聞く。ああ俺は海岸に寝ているんだと、どこか感慨を伴って思う。。。風と波の音は極めて似ているのにそれで気が付く。
おそらくこの二つの音こそ父母のような最も原初的なもの、人類のいないはるかな過去からの音ではないだろうか。。
こんなことを考えるが、普段ならそうならない、このひもじく心細い、臆病な繊細さがそれを生む。遊びならばこそ自らそういう世界に入っていける、そういうプリミティブな遊びをしたいと思う。
しかし今回は新たな展開があり、圏外だと思っていた電波が取れてFBなどの交信ができた。知らぬ間に改善が進んでいるようである。
バタバタと荒っぽい零下の強風の中で、横殴りのミゾレの闇。。しかし私の掌の中は呑気な世間と繋がっている、そこには通勤電車だったり食事中だったりの日常がある。そのことの心理的な安心感は計り知れない、しかしいざとなったら所詮電気信号に過ぎず、なんの助けにもならないのだと言い聞かせる。
私の周りには太古からの変わらぬ夜があって、掌の中には今や不夜城と化した文明社会がある。
FBでの交信は、たしかに嬉しく、また異次元の世界が接触するという不思議さがあった。そのどちらかが本当の世界なのか考えた。
たぶん掌の中の文明社会がいつか消滅しても、有史以前からのこの暴風やバラバラとやってくる白い霰は、人間のいない世界にも、たぶん吹き続けるだろう。
私の場合、山に寝ることの主たる目的は、この純粋な夜にどっぷりと浸ることにある。登頂することはその副産物にしか過ぎない。
さらに山へ行くことを超えて、私が生きることの目的というか願望は。私が生まれる前からあって、死んでからも続いていくものを、しかと見届けて行くことにある。
それはそう遠くない将来に自分が行くところである。地球の原材料から構成され、いっとき存在した命が、再び原材料の世界に戻ってゆくだけ。。それはごく自然なことであり、雲や山や大地の側に還ることはむしろ安らぎすら感ずる。
これは明けた11月3日の北岳。まだ相当な強風であり撤収作業で軽い凍傷になるほどの低温だった。私がテントで耐えた長い夜を、北岳で滑落され、自らレスキュー発信をされながら悪条件に凍死された方がいた。同じ厳しい風と寒さの夜を身一つで過ごした辛さがどれだけのものだったか。。。
執筆者: kazama
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