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2016年11月10日 21時57分 | カテゴリー: 登山

冬季北岳ルート 鷲ノ住山から池山吊尾根末端へ

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北岳の冬山登山は深沢下降点から野呂川へ降り、吊尾根末端から取りつくと思っていた。

しかしいつの間にか鷲ノ住山から400mも下降し、さらに林道を40分も北上、急登で快適でもない、あるき沢なんていう変則的なルートに変わっていた。吊尾根トンネル開削との関連なのか、あるいは深沢にあったという吊橋が流されたのが原因なのか。。なんとなくすっきりしないルートになったのは残念である。

広河原に通うとき、いつも眼下に見える美しい吊尾根の末端を歩いてみたくなった。。と言っても歩いた人の話をきいたこともないし、いったい道は遺っているのだろうか。。。ぐずぐずしているうちにバス運行の最終日になってしまい、芦安発の始発バスに乗り、鷲ノ住山に下りた。

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バスを降り、このあたりの高度感はすばらしい。野呂川(合流して早川)の対岸の滝ノ沢頭山の急峻な沢筋は北面を向き、冬季のアイスクライミングの舞台だというが、いささかスケールが大きすぎるのではないだろうか。

しかしこの急峻な鷲ノ住山を400mも下降しなければならないのは勿体ない。さらに吊尾根を登って北岳を目指すというアルバイトには気が遠くなる。。さらに帰路やっと辿り着いた河床から再び登り返すのもうんざりすることだろう。冬山なら奈良田経由のほうがアップダウンの苦労が少ないと思うのだが。。。

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霧が晴れ、雲間から姿を現した間の岳、相当な積雪があったようだ

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左は鷲ノ住山より上流の深沢上部にあった山の神。ここ深沢が古くから通行されていたことを物語る。

右は現在の深沢バス停。本来は深沢下降だったのだろうが。。。

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鷲ノ住山と野呂川右岸を結ぶ吊り橋。降りてきて橋へのルートはわかりずらい、また県道から殆ど見えないため、この橋の存在は案外知られていない。

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このルートの案外気を抜けないところが県道へのアクセス。一見なんのことなく見えるが割と切れてやらしい。構想ではつり橋を渡ったら県道に上がらず、そのまま野呂川右岸を遡上して吊尾根末端にというのが甘かった。5m以上もある堰堤が二つもあり越せたものではない。

落ち葉は乾燥しても滑りやすいが前日の氷雨が落ち葉の下で凍っていて最悪の状態だった。つり橋の手前の急斜面で落ち葉の下の岩に乗り、足をすくわれ大転倒、起き上がるときもしや骨折したかとヒヤヒヤした。どうやら無事だったようで恐るおそる県道への難路を登る、色あせた切れそうなロープでも頼るしかない、微妙な動きを強いられる箇所があったり、這う這うの体で県道に登ったときはホッとした、尾てい骨が痛むのは転倒でヒビでもはいったか。。。再び河原まで降りて吊尾根末端に迫るだけの気概はすっかり失せ、クラシックルートなど何処へやら。。ただの臆病な登山者に戻っていた。

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谷から見上げる恐るべき吊尾根の勾配を見て、こりゃ止めて正解だったと思った。ならば広河原までしみじみ歩こうと決めた。このルートには狭く曲がった素掘りのトンネルが連続する。真っ暗で足元が見えない以上に、歩く人などいない前提で走ってくる工事車両が怖い。自分の存在を知らせるヘッドランプを出そうとしていると野呂川発電所側のトンネルから大型車らしき音がする、なんと天の助けかコウノトリか。。。白馬のような山梨交通バスではないか、鷲住で私を降ろしたバスが、広河原から奈良田行となり、終点から再び広河原に戻って来たわけだ。なんというタイミング、不甲斐ない登山者に神の手はさしのべられた。

鷲住を降りるときは勇躍野呂川の険谷に向かいながら、本来は吊尾根の藪漕ぎに奮闘していようかという頃、だらしなく県道に立っていた私。やはりなぁという視線の乗務員に、その敗退の理由をさも大げさに言うしかなかった。

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根雪になった農鳥岳と荒川本谷左岸の護り、池山吊尾根下部の美しき脊梁、ここを辿ったものとして眺めたい

執筆者: kazama

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