JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
自宅を午前3時に出て、まだ暗い芦安の始発バス運行業務にあたる。
車で来る登山者と車両の誘導係りの方ともなじみになった
上弦の月のなか、広河原行きバスに乗る
始発バスを見送ってほっとしたころ夜が明ける。この時間が好きだった
すっかり人気のなくなった広河原登山基地
奈良田線から見上げる鷲ノ住山の偉容。窪んだところを林道が通り、冬季の吊尾根ルート入口がある
山の仕事が終わって半月余りが経った。人がいなくなった登山口の広河原にも雪は積もったろうか。。
自分のいない部屋を見ることができないのと同じで、人のいない空間のほんとの様子はわからない。
バイト三年目の登山シーズンが終わったのだけれど、始まりの緊張感が、終わってみれば懐かしさに変わっている。窓からは南アルプスが見えていて、日に日に積雪が増えていく、どこかに居る行方不明の方に白い雪が。。とつい思う
私でさえ重い気分になるのに、家族の想いはどれだけのものだろう。。。
今シーズンは怪我とか捻挫とか軽い事故が目立ったが、終盤に重い遭難が重なってしまった。
心残りは行方不明のまま山じまいになったことである。9月17日に消息を絶った単独の韓国籍女性。その両親と弟の三人が、韓国から山を訪れ、片言の日本語で目撃情報を求める印刷物を手渡していた。雪が積もる前に発見してやりたい。。その想いは切なるものがあったろう。
11月6日、もう新雪が来た北岳の、小屋じまいの肩の小屋に家族は登ったという。娘が消息を絶つ前日の、最後の夜を過ごした所。。そこへ行ってみたいのも無理はない。弟は捻挫したというが、また来年も来ますと、帰っていった家族の心が痛々しい。
トンネルの向こうは農鳥岳。ピークハンターは間の岳で引き返し、縦走以外で登られることは少ない
400mの眼下の早川の流れ、このあたりの高度感は素晴らしく、ここがバス路線であることに驚く
鷲住山から野呂川の対岸に急峻な滝の沢山。尾根を忠実に辿れば大唐松山を経て農鳥岳に至るが、さすがに物好きはいないらしく記録を見たことはない
新雪の来たアサヨ峰 11/2日にピークに泊まるつもりが強風で断念した
先人の執念と苦難を物語るトロッコ軌道トンネル遺跡。以前は観音峡で歩くことができたが中央構造線の影響か崩壊が進み閉鎖された。
鷲住山の下りから間の岳。中央の尾根が数日前に友人が辿った弘法小屋尾根、そのアルバイトを考えると気が遠くなる
鷲住山下部からの野呂川発電所。冬季北岳から、この登り返しを思うとやはり気が遠くなる。。
新雪の農鳥岳と左に大唐松への稜線。手前の美しい尾根筋は本来の池山吊尾根。今はあるき沢経由になり、この部分は登られなくなった。樹林の下には沈黙のクラシックルートが残っているだろう
立石沢付近のカラマツの黄葉が美しい
吊尾根上部、この鈍重なボリューム感を好むかどうかがが南アルプスの試金石。ボーコンの頭はもう雪煙が上がっていた。
11月9日、16時40分の甲府行き最終バスが、今年の最後の、広河原から娑婆へ帰る便になる。
つぎにバスが来るのは来年の6月25日。。しばらくの見納めと、薄暗くなった山々を眺める。
山の夕暮れは身に迫りくるものがあり、山は人間の居るところではないから早く帰れと、追い立てられるような気になる。
窓の灯りが、いっとき暗い山をにじませて、里へ下りてゆくバスの車内はぽかぽかと暖かい、。。。
やはり浮かぶのは、ついにバスにのることの出来なかった方のことである。どれだけこのバスに乗りたかったことだろう。
その想いがバスに追いすがるような、また暗い山に置き去りにするような、そんな思いを拭えない。
芦安の駐車場で私はバスを降り、甲府へ行くバスを見送った。
暗い早朝からあったクルマが一台、ポツンと置いてある。さてどうしたかと思ったが、その車は11月2日に遭難された方のものだった。
北岳から滑落し、自らレスキュー依頼しながら、荒天と悪条件により救助できなかった。
その夜は私も近くの2700m峰にいた。テントを襲う烈風に耐え、指が凍傷になったほどの厳しさだった。
同じ夜に明暗を分けただけに、その辛さが身に染みる。結局3日も強風でヘリが飛べず、4日の澄んだ高い空を、収容したヘリが行くのを見送った。
。。何度も始発バスを見送った芦安駐車場、、最終日にぽつんと残された遭難者の車。帰らない主人を待つような姿が哀れだった。
。。昨年もシーズン終了の時はこんな気持ちになった。もちろん登山者として心の通じ合う、同志という気になれる触れ合いもいっぱいあった。
しかし振り返ると、帰ることの出来なかった登山者に思いが残るのは、この仕事の宿命かもしれない。
期待感に高揚した登山者を乗せた始発バスを見送り、また下山の達成感と安堵感に浸り、日常に帰ってゆく登山者を見送るのも好きだった。
バスはそんな山の幸せを運び、また家族やかけがえのない日常へ送り届けるものでありたい。
執筆者: kazama
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