JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
つい最近、近くの山頂に中世の山城らしきものが発見されたというニュースがあった。
その山は笛吹川の左岸に屹立といっていい程の偉容を見せ、高校の頃から気になっていた山だった。やはりそうか、という感慨があり、そこに立ってみたくなった。
恵林寺山というその山は800mを超えるぐらい、明確な道がなくても何とかなるだろうと思った。
登りは南面の急斜面を避け、東面の森林観察道を利用し適当なところから山林に入る。
登っていくと右からダートの林道があって行きついた先に無線中継施設があった。家からいつも見えている反射板で俯瞰的な位置が分かった。
そこから尾根へは割と急だった。東の玉宮方面から上がってくる尾根は緩斜面で歩きやすかったが踏み跡という程ではない。
頂上への急斜面へ差し掛かるころ3m近いギャップがあった。この異様さは自然にできた浸食ではない。
どう見ても人工的な堀切であり、これが山城の存在を裏付ける防御のポイントとなる遺構とうなずける。南北に走る堀切は規模が大きく、これだけの切削を鋤や鍬でやった当時の労力が偲ばれる。
頂上への急斜面をトラバース気味に登ると南からの尾根にでた。北へ二段ほどの斜面を登ると頂上についた。
細長い20坪ほどの平地は整地したと想われ、ここに主郭があったことが偲ばれる。ここからは中牧一帯をはじめ笛吹川流域を一望できる、上流には高校時代の友人の寺の屋根も見えた。確かに烽火台との連携も良さそうで山城には絶好の条件である、ほんとうにここに山城があったのだろうか。。だとすれば500年近く前のことであり、文献にも郷土誌にも記載がなく、ここに沈黙の歳月が流れたことになる。
まだ発掘調査などもされている痕跡はなく、また物好きが訪れた様子もない。今後歴史家によって調査がされるのか。。このまま悠久の彼方に去っていくのだろうか。。
更に頂上から北に降りると頃合いの位置に尾根を南北に分断する堀切の遺構らしきものがあった。こちらは東尾根のものより顕著ではないが防御の要としては合理性がある。
尾根を北に辿り次のピークを目指す、冬木立を透かして乾徳山やら小楢山とか、昔なじみのふるさとの山がみえる。そのことの居心地のよさと、また根拠のない安心感のようなものに満たされ、ふるさとの山は別格である。
見るに堪えないがこれも自然の営みとして受け入れるしかない
視界の開けた植林地があり、害獣防護ネットがめくれ、そこに巻き付いた鹿の死骸があった。かなりもがいたらしく地面が円形に凹んでいた。ネットの様子から一定方向に回り続けてさらに締め付けられたのか。。
遺体は骨と皮ばかりの無残なもので、熊に食べられたのだろう。その凄惨な光景は想像したくない、もがいてる最中ではなくせめて息絶えてから食われたと思いたい。
北方のピーク扇山は木立の中の小平地、次のピークまではいったん下ってかなりある様子。ここで引き返すことにして落ち葉に腰を下ろした。。鹿の遺骸の残像が拭い去れない、あれだけ残酷な最期があるだろうか。。いや残酷というには当たらない、善悪の域外の、これが自然というものの現実の姿である。
帰路の主郭跡地(?)からの下りは南への尾根を辿ることにした。もしやこちらがメインルートで踏み跡があるかもしれない。 いやもっと重要なのは南尾根にも防備の堀切があるかどうか。。
しかし堀切は発見できず、踏みあとは一切なし、おまけに累々たる倒木の急斜面である。右に寄りすぎると手の付けられない崖状になるのが分かっていたので注意する。
しかしこの南尾根こそ昔から気になっていたので、ここを降りるのは積年の意地のようなものもある。
手がかりになる生きた木と下り易そうな箇所を選び、中々近くならない平地に苛々しながら下った。
やっと舗装路が見え、もうすぐ里という所で獣除けのフェンスが張り巡らしてある。私の立場は山から降りてきた動物であり、つまり里には入れない防護柵になっている。しかも防護区画が二重になっていて、二つ目の柵の50mほど先に出入り扉が見えた。何とかあそこまでと思い、どこか隙がないか探し回る。一か所だけ猪の仕業だろうか、柵の下が掘られている。そこを潜って出入り扉までいくしかない。腹ばいになって、泥だらけになるがそれしかない。頭が入ればなんとかなるという、ネコの格言を信じ、もがいた。イノシシへの共感と共に、こんなとこ通った人間は初めてではないかと思いながらくぐり、注意深く荷物をたぐり寄せた。
やっとこさ帰れる。しかし扉には丁寧にチェーンが巻いてある、さらになんと南京錠。。これには参った。浮かんだのは避難小屋に辿り着いたが施錠されていて扉の外で凍死した話しである。。。
すぐそこにある里に行くことができない。。私は追い詰められた獣である。
通ってきた猪の穴を再度くぐり、山側に戻って途方にくれた。もう一度急峻な南尾根を登り直すのはとてつもない労力だし、それに東尾根だって複雑で朝のルートをまともに降りれる確証はない、だいいち日没が迫り、そんな時間はない。
明るいうちになんとかと思い、ネット沿いに登り糸口を探す。丹沢あたりならなんとか出口があったり、まして南尾根のようなところに踏みあとすらない状況はないだろう。
小さい沢があり、この沢が吸収されるあたりでネットがなくなると読んだ。果たしてネットはきれ、沢の対岸に渡ることができた。
やっと帰ると思ったらこちら側にもフェンス。。まったく水も漏らさぬこの完璧な防護柵。。参ったな~と思いながら下ると一か所だけ柵が低いところがある。後ろは垂直の用水路になっていて少々高い。切り株があってそれに足をかけ、少々怖いが乗り越えた。。
ホッとした。やっとこさ人間の側に戻ることができたのだ。。里山おそるべし。
しかしフェンス扉の南京錠は何のためだろう、獣ならばロック金具だけでも開けることはない。明らかに人間の侵入防止策である。道迷いの登山者がやっと辿り着いた山腹で、そこから出られない状況も考えられる。
しかしなんやかんや、道のない山を歩くような人への配慮をしたらきりがない、自己責任は当たり前だろう。
塩の山の奥。左端の恵林寺山の山頂に山城があったとされる
執筆者: kazama
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