JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
他人の山のアシストをすることの張り合いの反面、自分の山登りができないジレンマがある。
しかも60代という大切な、残された宝物のような時間が過ぎていってしまう。
休日はあっても翌日の出勤が3時だったりするから山登りなどするきになれない。
しかし一度ぐらいなんとかと思い、休みを変わってもらって2連休を捻出した。
行先は正面に左上する急峻な北岳への嶺朋ルート、一応はバリエーションルートではあるがマーキングはあるらしい。
下見しておいた細い踏み跡の急登を登り始めると地形に複雑さはなくどこを登っても問題なさそうである。
地形図でみると一直線の尾根で無駄がない代わりに傾斜が単調にきつい。
2200mあたりで一旦尾根が平坦になるので雰囲気を期待したが倒木だらけで全く風情がなかった。
そこで下ってきたマニアらしい若者二人にあい 「 え、登るんですか? 」と言われた。
こんな急峻な尾根は下りこそすれ登るのは論外というニュアンスだった。
人跡まれなルートに重そうなザックを背負った単独の初老が現われたから意表をつかれたのだろう。
たしかに急登は下りに使うのが合理的なのだろうがそれは若いうちの話である。
さいきん一般登山道での老人の事故の殆どが下りである。その様相は遭難というより高齢化問題である。
ましてここは未知のバリエーションルート。登りに集約する尾根筋ならまだ始末いいが,逆に谷に拡散する未知の下りは危険要素が一杯ある。
そこからの上りも一向に傾斜の緩む気配はなく、テント泊したくなるような小天地もない。
効率はいいのだろうが遊びのない(笑)私好みの風情のある個所のないルートだった。
この感想は久々に苦しめられた重荷のせいかも知れない、何となくビシッと決まらない足どりもイラついた。
トレーニングもストレッチも何もしない日々、今やそんなことをしても体力が低下していく年齢である。
やっと森林限界を抜け、黄葉の始まったダケカンバの向こうにバットレス。岩っぽい箇所も出てきて普段なら高揚するのだが、あまりの自分の不甲斐ない状態に愕然とし、暗澹たる気持ちで歩いた。
思考は退廃的になり、いったいこのルートの目的と魅力は何だろうと思う。
静かではあるが風情がない、冬山ルートとして長い池山吊尾根の代わりだろうか。
私なら広河原までの長い林道歩きより奈良田から吊尾根を選ぶ。
( ボーコンの夜 )
やっとの思いで辿り着いたボーコンの頭でテントを張る、前回はここで7月というのに猛烈に寒い思いをした。年寄りになると寒さが皮膚感覚ではなく、骨身にしみるという感覚になる。
それが思い出され、今回のルートがなんとなく気が進まなかった要因だった。
私の登山スタイルは基本的に単独でのテント山行、それもなるべくマイナーなルートを選びたい。
登山届のポストなどないコースが多く、殆どが人と会わない。登頂が目的というより人跡まれな奥地での夜の神髄を過ごしたいことにある。
水場もない条件でザックは重く、訓練のために日帰りでも重い荷物を背負うようにしてきた。そんな精進もこの四年間のブランクと、そして尚且つ加齢によってすっかり帳消しになり、計ってみたら18kgという、以前ならさほどではないザックの重さが身に応えた。
夕方が早くなって藍色に沈みゆく山々を眺めながら、本来なら至福の時間なのに物憂い気分。。しみじみと我が身に時間がすぎていったことを噛みしめた。
これからどうしようか、、重荷を背負ってマイナーなルートを登りたいなどと若者でもあるまいし、じいさんのやることではない。。ならば小屋泊まりのメジャーな山登りスタイルに切り替えられるのか。。その問いは絶えず自分のなかにあって否である。やがてその時期が来ればと思っていたが、この年齢になってみても混雑する山域やら小屋に泊まる気にはなれない。
山に来さえすればいい、山を歩けて風景を堪能できさえすればいいという境地にはなれそうもない、そこまでは山を好きではなかったのだとおもう。
山を止めるときがやってきたのか、幾つあるかわからないザックやら未練たらしくザイルやらハーネスまである。登山用具を処分したら物置がどれだけすっきりするだろうなんて考えた。。。
そんな物憂い心と外の闇を隔てるのは布切れ一枚、少なくとも数キロ四方の空間にいるのは私ひとりである。
いつも私の心を満たすものが沁みてきた。この世の夜というもののなかで、これほど原始にちかく純度の高い夜が他にあるだろうか。。夜の真髄に身も心も浸る。それが私が山に求めてきたものだ。
( 池山吊尾根 いにしえの静寂 )
翌日はなつかしい池山吊尾根を下ることにした。
北岳には目前まで来て素通りで義理を欠くようだが,人跡まれなダケカンバの黄葉の始まった道筋の方が魅力がある。
なつかしい鋸岳。第二高点から鹿窓ルンぜを経て第一高点までの緊迫を回想した
バットレスの偉容。四尾根の奥に像の鼻のような中央稜
初登攀はS17年に松濤明。ナイーブさと鋼の強さを併せ持つ稀代の岳人
宝石のような輝きを残し、若くして去った
剃刀のような四尾根のリッジ。マッチ箱のコルへの懸垂下降の高度感を想像するのみ。
もう行くことはないだろう、ふんぎれなかった大唐松尾根
一宿一飯の恩義の大地。撤収も要領を得ずモタモタし、小一時間もかかった。よくこれで風雨の撤収とかしてこれたもんだと思った。
しかし今朝は無風の静かさ、ザックを背負い振り返ると見覚えのある輪ゴムが落ちている。何の用途だったか忘れたが家にあったものだから拾ってポケットに入れた。
ゴミは残さないという立派なことでも輪ゴムが惜しいというのでもない、「 可哀そう 」というのがいちばん近い。居間にあった輪ゴムが、この寂しいボーコンの頭に置き去りにされ風化していくさまがである(笑)
私はそういう無駄なことに心を動かし、その分肝心なことに鈍感だと友人から言われる。
吊尾根は適度な傾斜と原生林、随所に桃源郷のような小天地がありそそられる。
マイナーなルートといっても嶺峰ルートより遥かに踏まれていて、そして潤いがある。
御池小屋は今は干上がった御池のたもとにある。どれくらいの年月のあいだ池であったのか、そこでの水中生物は絶滅したのだろうか。
小屋には立派な鉄のドアがあって、開けるとき緊張する。
ドアは二重になっていて昨年に行方不明になった韓国人女性の写真が貼られていた。
来日されたご両親と弟さんが何度も広河原や奈良田を訪れ、また大門沢までも上がられ、慣れぬ日本語で娘の情報提供を訴えていた
今年も来られたというがもう十月、発見され、寂しい山から肉親のもとへ還ってほしい。
二枚目の扉をあけ薄暗い部屋に、うずくまってる人がいるのでは。。という瞬間はさらに緊張する。
そして人道上そうではいけないとは思うが、行方不明者の肖像と対面しながらの独りの夜は怖い。
小屋までの路は以前池の西側だったような気がしたが東側についていた。枯れた池のほとりを歩いて下山にむかう。その美しい静寂郷に圧倒される。かってここは北岳へのメインルートとして賑い、40人収容の池山小屋はいつも混んでいたという。そのころの池のほとりに登山者が寛いだろうか。
鳥の声もしない秋の静寂のなか、山にも私にも過ぎていったその歳月を想いながら歩いた。
こういうとき、静寂は無ではなく表現の一要素であり、静寂こそ究極の音楽のように思う。
あるき沢から吊尾根への変則的経路は奈良田からの県道が出来てからの路であり、それ以前の鷲住山経由荒川小屋、あるいは深沢下降点からの道は忠実に吊尾根の末端から始まった筈である。
左へ降りてゆくあるき沢の径路のあたりで、しばらく尾根上を辿ってみた、かすかな踏みあとらしきもの。。それがかっての吊尾根登山道なのだろうか。四時間近い急登だったというその道は、美しいスカイラインを描く尾根筋の原生林のなかに今もあるのだろうか。。
いまの北岳への登山径路は甲府から2時間で広河原という、類まれな好条件に恵まれたことと引き換えに、奥地という重みがない気がする。
その点でこの池山吊尾根はクラシックルートという重厚さと多様性と、それを辿る充実感がある。
北アルプスで言えば北鎌尾根のクラシックルート。。湯俣から高瀬川を遡り、千天出会いから北鎌尾根を経て槍でフィナーレを迎えるという完璧な構成、重厚さも、また華もある。武道で言えば心技体を兼ね備えたようなルートの美しさがある。
それと同様に原生林と桃源郷と天界のようなボーコンの頭。八本歯の痩せ尾根とバットレスの偉容を目近にする池山吊尾根は日本第二位の高峰へのルートとして相応しい。
あるき沢への下降ルートに入ると対岸の眼下に南アルプス林道が見え、甲府から広河原へ向かうバスが見えた。それが奈良田から折り返してくる最終便までにあるき沢バス停につかないとえらいことになる。
選択肢としては唯一、鷲住山400mを登り広河原から来る最終便に乗れるかどうか、もし逃したら芦安まで歩くしかないが、老人にその体力と根気はとても残っていない。
( 山腹にあったかまどの跡 飯場跡か? )
幸い時間内にあるき沢バス停につき、着替えをする時間もあった。やがて聞き覚えのあるバスの音とともにクラクションが聞こえる、未だ山中に居るかもしれない私に到着を知らせようとの配慮らしい。バス停に私を確認するとパッシングとホーンで迎えてくれた。ドライバーも車掌もホッとしたようで、私が居なかったらどうしようかと、かなり心配させたようである。誰もいない空間から戻ってきて人情味が心に沁みた
会話しようとして声がまともに出ない、ボーコンの寒さに喉をやられたのかと思ったが、そういえばいつもこうなることを忘れていた。山に入ると全く会話しないから声帯があっという間に退化するのだ。それでも今回は嶺峰で一度声をだしてはいたがやはりこうなった。山に行くと声帯を遣わないことを長年のうちに躰が条件反射するようになったのだろうか。
池山吊尾根ではこの好天に恵まれたというのに一人も会わなかった。極めてメジャーな高峰なのにこれだけの静寂な登路が残されていることに驚く。できれば野呂川からの吊尾根末端に沁みついた昔を訪ねてみたい
まあ山を一気にやめることもない、見栄と意地をはらず、体と折り合いをつけながら行きたいところに行く
のど元過ぎれば。。直後はこりごりと思っても 山はいつもこうなる
地形図に浮かび上がる いにしえの尾根筋
執筆者: kazama
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