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2017年10月29日 13時46分 | カテゴリー: 登山

北岳クラシックルートをさぐる

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もうすぐ登山シーズンもおわり、ベースの広河原にも来られなくなる。

バスの眼下の野呂川に食い込むような池山吊尾根を眺めていると、県道からの、あるき沢ルートが新道となり、吊尾根というにふさわしい部分が歩かれないことが、類まれなクラシックルートの美しさを損なっているように思う。

そこに秘められた道が今も静まりかえっているのだと思いは募る。

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昨年は尾根の末端に迫ろうと野呂川右岸に降りたが堰堤に阻まれ到達できなかった。

奈良田への県道の吊尾根を貫くトンネルの脇の踏みあとらしきものが気になっていた。

今年最後のチャンスの休日にと思った前夜、若いのに変態の岳人から旧い五万図が送られてきた。見ると道は尾根上にはなく、荒川小屋から南の斜面を登っている。。

気がそがれたが考えてみれば深沢からのルートが開かれる以前の地図ということだろう。

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焦点が定まらなくなったが芦安始発のバスに乗り、懸案だったトンネル出口で降ろしてもらった。

しかし踏みあとに見えていたものが実際に行ってみると単なる斜面でしかなかった。強引に登ってみると先は手の付けられない斜面でありとても歩けない。

もう一本先のトンネルの出口も同じ状況だった。。やはり吊尾根の古い道を歩く人などいないのだろう。あるいは元来がこの末端の尾根には道がなかったのかもしれない。深沢からの新道(当時の)は尾根の末端ではなく支稜を登っていたのだろうか、しかしそれらしい好条件の尾根など見当たらない、それともあるき沢ルートがそれなのか。。

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末端ルートを諦め旧い五万図の荒川小屋ルートを探すことにした。

四年前の大雪で倒壊した作業小屋が荒川の出会いにあり、そこが荒川小屋の跡地ではないかと見ていた。

行ってみればたしかに小屋の裏側には整地されたと思われる平地があった。丹念に探すと草に埋もれた廃材やら錆びた一斗缶などがあり、小屋の跡だと思われる。

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背後の急峻な斜面にうっすら踏みあとがある、鹿道かも知れないが辿ってみるとすぐに斜面に吸収されてしまう。もう50年を経ているから無理もないだろう。

離れて地形全体を把握しようとしたがどこも急斜面で顕著な稜もなく、おそらくはかなりな難路だったのだろう。強引に登って見ようかと思ったが台風あがりで滑りやすく、下りを想えば作戦中止が賢明である。

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野呂川と荒川が合流し早川となって富士川に注ぐ。。

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( 荒川左岸。吊尾根からの落差200mぐらいの大滝がある )

総体的に池山吊尾根の末端は御池小屋から上の風情に比べかなり急峻である。それは南アルプス全体にも言えて谷あいが急峻なV字状になり手が付けられない。北アルプスに比較して登路の少なさはそのせいかもしれない。

吊尾根の南山稜の登りは今ではバリエーションルートの範疇だろう、それが北岳へのメインルートだったというのだから、それに比べていまのアプローチの短さは驚異的である。そのころの北岳は遥か遠い奥地の山であったことだろう。

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( 農鳥への大唐松山を経ての支稜にも昔は破線の記載があった )

昔の地図を見て驚くのは驚異的なそのアプローチの多様さと難路をものとせずルートとしていたことである。おそらく山の捉え方や感覚がちがっていたのではないか。先人たちが山から得たものはなんだったのだろう。

そんな長くて困難な昔のルートは殆どが廃道と化し、反対に過度の集中で登山道のストックによる拡大が問題になっている。山小屋へのニーズも次第に高度なものになり対応するご苦労が偲ばれる。

私が山に求めるのは現代社会が失った野趣であり、暗い夜もそのひとつである

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行動を打ち切り、懐かしい鷲住山をのぼる。吊り橋の前後はちょっと不鮮明でいやらしいが、ここで人と会ったことがない。

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( 野呂川にかかる吊橋を渡るのはいつも敗退のとき )

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滝ノ沢山の断崖を背景にしたこのアングルをいつも撮る

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送電鉄塔のところで大休止。大好きなところ

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( 鷲住山には電線が野呂川まで通っていた形跡があり期せずしてルート指標になる )

発見はできなかったが美しい尾根にはいにしえの古道があると今も思っている。

そこを辿ってみたいのが私のような老人ではなく。若い人のナイーブなロマンをそんな野趣に向けてくれたらいいと思う。

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執筆者: kazama

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