JOURNAL SKIN
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Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
約40年間に亘って我が家にあったヤマハTY250Jが家を出て行った。
それほど旧いとは思わなかったが、私がまだ20代に新車で買ったもので旧いジープやランクルより更に古く、所有してるものでこれより旧いものは思いつかない。
今や貴重な2ストロークであり、97kgという軽量で16Ps/6000rpmの低速トルクは魅力的だ。山ばかりの環境で楽しめるとは思ったが最近はセル付きのセローの4スト故のトラクションにメリットを感じていた。先のことを考えると物を減らしていかなければならないので友人に譲ることにした。
ミックアンドリュースの意向を取り入れて設計したというTY250はそれ故にハンドリングに癖があり、エキスパートには武器になるがビギナーには乗りこなせない、フルロックのターンがキャスターが立ちすぎていて難しい。私もマッドセクションや滑りやすい木の根を超える時など四苦八苦した。後日TY175に乗せてもらったら驚くほど乗りやすかった記憶がある。エンジン特性はともかくハンドリングに関しては宝の持ち腐れに終わった。
乗りこなせない憂さ晴らしは結局ウイリーやヒルクライムといった邪道な遊びがメインになった。時代的にまだ富士山頂を狙う不届きな輩がいて私も密かに可能性を試みた。いくら空気圧を下げてグリップを得るといっても机上の空論、急斜面の火山灰はそう甘くない。おまけに断念して下るにも今度は止まらない。リヤブレーキは全く効かずロックすると転倒するフロントを上手く使うしかない。結局は軽量ハイパワーのモトクロッサーをぶん回せて、何よりそれを操れる技量のある人のステージだった。
家族が増えてからは4WD中心になりTYに乗る機会は少なくなった。20年ほど前にフレームだけにして塗装、タイヤも新品にした。余生は大切にビンテージバイクとして乗るつもりだったが何とそれきり一度も乗らなかった。バイクは税金も知れているのでついそのままにしておいたが、20年間ともなると累積でカメラが買えるほどの金額を国家社会に貢献した。
昼頃友人が埼玉から取りに来た。在庫があるうちにと買っておいたキャブレターのリペアパーツやらバッテリーを用意していると子供を手放すような気分になる。補充用の分離給油のオイルも渡しておく。バンに積み込まれるとやけにバリッと見え、旅立ちという風体に見えた。友人は航空整備までやっていたから行く末は安心だ。私にほっとかれるよりよほど幸せだろう。
見送ったあと外出し夕暮れどきに帰宅した。いつもTYが置いてあった場所がぽっかり空いていた。わかっていることであっても「あいつ、行っちゃったなあ」という気分になる。庭に空いた僅かばかりのスペースが愛おしかった。
執筆者: kazama
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