JOURNAL SKIN
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つい先日、弟から「あのトライアンフあるんだっけ?」と電話があった。
ポンコツのT110サンダーバードのことだ。そう言われた私もつい、まだあるような気になり、頭の中で詮索をしたがあるわけがない。もう40年も前に、この写真の養蚕農家を建て替える際に処分されたはずだ。
その際にはどさくさで、今思えばもったいないものまで処分してしまった。思い出せるだけでカワサキF21M、ヤマハYC1、CL72部品取り車、TD-1のエンジンなど、、、しかし今の価値で判断するのは間違いで、その当時は邪魔だったのだから仕方ない。弟はあったらレストアして宝物バイクにでもしようと思ったのだろう。
我々の世代にとってトライアンフの650といえば、当時ハーレーは論外だったから実質的最大排気量、最速バイクだった。国産車ではCB77とかYM1とか300CCぐらいが上限だった。トラの650と同等の速さを持つのは四輪のスカイラインGTBぐらいだったが、加速性では論外にトライアンフのほうが早かった。
このバイクはT110、マニアには通称ワンテンと呼ばれ、これをツインキャブにしたのがT120ボンネビルで、外見上はそっくりだった。会社の先輩でCB72でレースをやっていた人から譲ってもらったものだった。このシックでエレガントなワンテンを、私はこともあろうにスクランブラータイプにして逆ハン(まだカウンターとかドリフトという言い方はなかった)用のマシンにしようとしたのだ。
当時のオートレースはまだダートで、トラの650は上級車として主力マシンだった。そのプロライダーによる豪快な逆ハンとサイレンサーなしのエキゾーストサウンドは、若造の魂を魅了させるに十分なセクシーなものだった。私はギャンブルなしで純粋に、そのテクニックを見るだけで船橋サーキットに通った。
▲ 復元されたT110。記事とは関係ありません
私は軽量化だと称し、今思えばこの優雅なラインのフェンダーや素晴らしい造形のヘッドライトナセルを、惜しげもなくとっぱらい、悦に入っていたのだから、まさに若気の至りというしかない。まして若造に金をかけられはずもなく、当初はトロフィータイプの2イン1のアップエキゾーストにするつもりが、妥協してC72あたりのマフラーをブザマに切ってつけただけだ。おまけにこのバイクは点火系にトラブルを抱えていて、国産のパーツの流用で切り抜けようと思ったが手に負えなかった。当時外車の取扱店は敷居が高く、若造が拾ってきたようなバイクを依頼できるような雰囲気はなかった。次第に情熱も冷めて放置にいたり、山梨の実家に預けたままで処分に至ったわけだ。なんとなくその実感がないのは東京にいた私が、親父と兄貴にすべての処分を依頼したので、たぶん業者のトラックに積み込まれたであろうシーンをみていないからだ。そのせいか昔もっていたいろんなパーツが、いまもどこかにあるような気になっている。そのことはこの実家そのものにも当てはまり、解体現場を見ていないので無くなったという実感がない。宇宙のどこかに行けば懐かしいあの家があるのではないか、みたいな想像をすることが時々ある。そこにはこの痛恨のフェンダーやヘッドライトナセルがあるだろう。
私はトライアンフ・ボンネビルT120といえば後期型の軽快なモデルではなく、このワンテンと同じ重厚かつシックな旧型でないと魅力を感じない。無知だったゆえの失敗は、生涯にわたって尾を引くことのようだ。
執筆者: kazama
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