JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
山梨市三富村道の駅で1987年に北極点に到達したバイクと28年ぶりに再会した。
当時このバイクを制作したヤマハ発動機に勤務していた私は社員として補給と激励に向かった。
当初は4ストロークでテストしたが極寒の始動性に難があり、スノーモービルの経験がある同社の2ストロークでの開発を依頼した。
このマシンはコンストラクターではなく。同社の研究開発部門が直々に制作するという力作だった。
低速でなだらかなトルクを発揮するTY250のエンジンとTW200のトラクション特性とのマッチングという設計思想が成功へのポイントになった。
北緯80度のベースキャンプでテストしてみたが、90Kgのウエイトと。前輪荷重の軽さは非常に乗りやすく、このまま市販したらどうかと思った程だった。
有頂天になった私は、北極海を見下ろす小高い山に駆け上がり、調子に乗って下りでジャンプした、あんがい飛んだと思ったが着地点が深い雪でスッポリと突き刺さってしまった。乗っていた私だけは数メートル下に飛ばされ唇を切って雪面を染めた。
何喰わぬ顔で帰って転倒したことは隠していたが一週間ほど唇は腫れ上がった。
このマシンを持ってしても北極海の大氷原の試練は厳しかったが、40日あまりの苦闘の末、バイクという乗り物が初めて北極点に到達した。1987年は会社にも弟にも記念すべき年になった。
28年ぶりにマシンと対面し、もしあのジャンプ失敗で怪我でもしていたら---
半端じゃない僻地で一体どうなったんだろうと---隠していた冷や汗がよみがえった。
執筆者: kazama
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