JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
春めいてきた昨日、40年の歳月を共にしたバイクが家を出て行った。
いつかいつかと思いながら、手がつかず錆びていくのがずっと気になっていた。
最近はもうこのままではないかと思い始めたおり、顔見知りの買取業者が訪ねて来た。
話してる内に、渡りに船のような、いっそこの際さっぱりしてしまおうみたいな気分になった。
私にしては思い切ったもので4台のバイクを手放した。
買取の方は手放す側の心理も理解されていて、しっかり生き返らせると言っていたが、私の元で錆びさせるよりいいだろうと自分にも言い聞かせた。
40年間も持ち続けたものは他には思いつかない。トラックに積まれて我が家を出て行く頃は月夜になった。今生の別れという気分になり、タンクに触ったら、こみ上げてくるものがあった。
テールランプを見送って戻ると各々のバイクの居場所だった空間が月光を浴びて、ポッカリと空いたスペースが胸に迫った。
CL72だと、ずっと思っていたらフレームの打刻はCL300となっていた。
そういえばこのバイクの305CCタイプⅠのエンジンをもう一台の旧型に載せ替え、本命にしたんだった。40年という歳月は記憶を曖昧なものにする。
このタイプⅡは弟が再生すると言っていたが---たぶん私と同じ轍を踏んで陽の目を見ないのではないかと思った。
TY50---今回の思い入れはCLよりむしろこれだった。
このバイクには家族全員が乘ったから、子供たちがこのバイクで出掛ける姿が目に焼き付いている。
しかし私がメーターを妙なところに付けたり改造をしたものだから、度々警察に言いがかりを付けられ腐って帰ってきた。
6Vのバッテリーだから電装は頼りなく、ホーンが鳴らなかったりウインカーが点かなくなったら即、反則キップを切られる。なにせ古臭いバイクにのった高校生は警察の取締の格好のカモだったようだ。
これはTY50のパーツ用と思って持っていたバイク。この3台を1台にまとめようと思っていた。
今こうしてみると赤いフレームの車体にまとめ上げたら素晴らしい軽量な山用バイクができ上がったんではないかと思う、おまけにエンジンは低速トルクのある80CCだし---
一日にしてもう痛恨の判断だったと思う浅はかさ---でももう遅い。
---決断とは読んで字のごとく、決めたら一方への思いを断つことだ、、親父の印象的な言葉だった。
執筆者: kazama
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