JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
チェコのCZ、ロベールのライディングで独自の存在感があった。
右は今月手放した胸キュンのTY50
スズキのM12改スクランブラー。高校生の頃のモトクロッサーはよくてこの程度。
今となれば懐かしさも手伝って高価なマシンより魅力的、何やらアルミシリンダー?
何とW1650CCをベースの超弩級スクランブラー。こういう愉しさは何より嬉しい。
ヤマハ初の市販モトクロッサー。美しいスタイルに惹かれ私も新車で購入した。
低速トルクの薄さとギャップでのシミーには難儀した。
その後どこへ行ったか思い出せない可哀想な存在。
30年家にあったTY250と懐かしい対面。友人に委ねて良かった。
右は俊足ハスクバーナー。ハスキーって名前がカッコいい。
RH68、この頃のスズキはカッコ良かった。2ポートのRH66には丸野山で初見参。
ワークス大月選手の安定したライディングとともに、今も目に焼き付いている。
何と四気筒!!。オリビエのパリダガマシンを彷彿とさせるモンスターマシン。
速さのみではない、こういうマシンを制作して走ろうとする発想と気概に敬意を表したい。
W1と共に、走りも洗練されていて、単なるアトラクションを超えていた。
今のA級ライダーでもこの難物を乗りこなすのは難しいだろう。
気迫の、かっこいいライディング。マシンはCB450ツイン。
私も20代に鯨タンクCB450タイプ1ポンコツを入手し、
こんなマシンにしようかとしたが若僧の手に負える筈もなく挫折した。
ライダーのブーツはイギリスのアッシュマンではないかと思ったが聞けなかった。私も当時英国かぶれしてたので目についた。
これぞ本命!私のアイドルだったF21M。
ヤマハに居ながらDT1より愛したマシン。
その骨太感は国産車にないものだった。低速トルクとワイドレシオの四速がマッチして、
高低差のあるコースでは無類の愉しさがあった。
オリジナルのマフラーだったこともあって、昔のままのトルクフルなサウンドは、私の琴線まで届いた。
時代を物語るプレスフレームのYA6。
当時はレーシングマグネトーの始動性が悪かったのか(ヤマハさんすいません)、
カチンカチンと、キックがステップに当たる音が今も耳に残っている。右はメグロSG、現車はたしかセル付きだった。
大好きなグリーブス、これはトライアルモデルだが、私はボトムリンクサスの形が好きだ。
チャンネルフレームといい、グリーブスは農機具のような素朴さがたまらない。
グリーブスが走ると、そこは1960年台の英国の牧草地になる
ライダーはゴーグルにベルスタッフを着て、この早春の佳き日のビンテージ、テイストを醸しだしてくれた。
美しいホダカ。パープルが好きだという175も所有するライダーと、山口SPBとの関連性を、懐かしく話し合った。
アエルマッキ(ハーレー?)のマシンが多いのには驚いた、ユニークなOHVエンジンの造形が目を引いた、ひよっとしてC100が範にしたのではないかと感じた。
のんびりしたマシンでもそこはレース、スタートダッシュは一丁前にする。
トライアンフはT100系、650ではなく500CCが多い、かっこいいOHV
BSAはビンテージの定番的存在。むかし弟と一緒にSRをベースにBSRというビクターの偽物を作ったが、あれはどこへ行ったか---
最後までお付き合いありがとうございました
愉しい一日でした。~チクショー走りたくなった
執筆者: kazama
This post was displayed 2861 times.