JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
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Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
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風土を文章にするとき、どんな文豪でも、そこで生まれ育った人にはかなわない。
私が北陸を好きになったのは福井県生まれの水上勉の文章に惹かれたことがある。
もう一つ、富山県生まれの女優、左幸子さんが書いたこの文章が忘れられない。
娘時代を富山の海の近くで育った私は、ふるさとを離れて二十数年たっているというのに、
あの日本海の海鳴りの音が今も耳の底に住み付いているのです。
日本海、、、それは、青春時代の私に随分大きな力を与えてくれました。
夏が終わろうとする頃の海は、いいしれない寂しさがあって、
あの深く暗い海の色は、人の心を引き込んでしまう魔力がありました。
女学校の裏山からは、ちょうど水平線が一望でき、思春期のさまざまな思いをぶつけ、
時の過ぎるのも忘れたものです。
そして冬。海という巨大な生きものが、怒りを込めて沖合いから白波をけたてて打ち寄せますが、
その中には自然の厳しさ、力強さがみなぎり、私は全身で恐ろしさを感じました。
かって北陸といえば雪深く、鉄道も単線で、情報がまったく閉ざされた世界でした。
「親不知子不知」の海岸線を汽車は、窓をあけたりしめたりして、煙にむせびながら通ったものですし、
駅から聞こえてくる哀切な汽笛の響きに、上り下りの列車の通過を知りました。
北陸の気候は、一年の半分が曇天で、暗く重い空がおおいかぶさるようで、娘時代の私は、
そこから早く抜け出たいという切実な衝動にかられ、ついに飛び出してしまったのです。
北陸の人が忍耐強いといわれるのは、あの自然にじっと耐えてきたからではないでしょうか。
つめたいみぞれの続く日に、今か今かと春を待ち望んだ当時の思い出が懐かしく思い出されます。
夏、冬を問わず、何かを語りかけるような日本海の重い海の色、
そして枕辺に届いた海鳴りの音は、私にとっての「北陸」として、生涯消えそうもありません。
執筆者: kazama
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