JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
This is a static page.
こういう言葉が古くからあるぐらいだから、そう思う人がいるのだろう
華やいだ春の日にふと感じる物悲しさ。春に感じる哀愁、、、そう解説してある
子供のころからの私の病んだ感情だと思っていたが、大人になってからこの言葉
に出会ったときは同志に出会ったような感じたった。
桜が終わった頃のいいようもない虚しさ、居心地の悪さはなんだろう。
寒さから開放され、身体はずいぶん楽になるが、反面のとりとめのなさがある。
この沸き立つような自然の勢いについていけない自分、この底抜けの明るさに
居場所のないような感じ、自分に寄り添ってくれるものが何もないような、、
そんな風に言えばいいのだろうか。
もちろん新年度という、社会での新たな一歩を強いられる時期ということもある。
たぶんその二つがからみ合っての心理状態なのだろう。
でもこの時期にそんな胸中を語ることは夏の暑さ、秋の寂しさ、冬の寒さと違い
いちばん言いづらく、わかって貰えそうもないから胸に秘めておくしかない。
そのことが余計に鬱積されたものとして病的に扱われるのだろう。
文芸の世界では古くからこのことが表現されていて、むしろ人間の繊細さや
春の奥深い情緒として扱われている。私のは単に天邪鬼なだけであるが。
執筆者: kazama
This post was displayed 873 times.