JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
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櫛形山に登るつもりが雪崩により林道が通行止め、中腹にある中野城跡に登った。
ここは甲斐源氏の秋山太郎光朝が自害したと記されていた。
光朝は平重盛の娘を妻に迎えたため、鎌倉幕府創成期に頼朝に疎まれ、
鎌倉勢により攻められ自害したという
甲斐源氏自体も頼朝に疎まれ、私の祖母の郷の領主 安田義定も同様に追われ牧丘荘で自害している。
頼朝の猜疑心を言われるが真実はどうだったろうか。
現代の覇権は選挙によって決められるが、当時は
戦によってそれが決められたのだろう、権力者の道のなんと厳しいことかと思ってしまう。
城跡といっても遺構もなにもない、僅かに土塁の盛り上がりが残っているだけである。
この山の東側は崖になっていて盆地と富士山が一望できる。
西側の斜面も急で細い尾根のなかに僅かな平地がある。
ここで最期を迎えるしかなかった心をつい想像する。
春風の穏やかなこの平地に800有余年という時が流れた
凋落の秋よりむしろ、生命萌える春にこそ感ずるものがある
春は必然的に栄枯盛衰を偲ばせる、春愁という言葉はそこからきているように思う
執筆者: kazama
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