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2014年07月17日 10時18分 | カテゴリー: 総合

…こぴっとひと言…

   関西の友人からNHKドラマ「花子とアン」の山梨弁のリアリティについて聞かれた。

役者の板につかない山梨弁には親近感を感ずるが地元としては多少の違和感はある。しかしその微妙なニュアンスまで演技に求めるのは酷だろう。一般的に演技というのは誇張気味に表現しないとメリハリがない。実際にはそこが現実との違和感につながっている。


   「こぴっと」という言葉のユニークさが注目されているが、ドラマではいくぶんニュアンスが違って使われている。「しっかり」という意味は間違ってはいないのだが使う場面が微妙に違う。「こぴっと」は水準以上の「しっかり」には使わない。文化講演をこぴっと行う、なんて使い方ではなく、堕落して酒浸り(笑)の生活に対して「もちょっとこぴっとせにゃあ」みたいな使い方である。より良くではなく、せめて人並みにという感じだろうか。叱咤激励のなかの叱咤の部分であり激励に使う言葉ではない。コピッとしろといわれた人はかなり水準以下であることを認識する必要がある。

   しかしドラマで違う使われ方をしているかといって間違いとまでは言えない、元来が口語は慣用語だし方言はさらにその性格がつよい。誰かが言い出して定着すればそうなってしまう。時代とともに本来の意味とは違うものになった言葉はいくらでもある。

   ドラマでの使い方では、ほんらいの「こぴっと」の微妙さが発揮されていないと言える。方言の持ち味というのはその標準語に翻訳できない微妙さにある。

   言葉はひとり歩きをしてコントロールはできない「こぴっと」は今になって狭い山梨から、いくらか行儀のよい衣を着て歩きだすのだろうか。

   私自身は相変わらずの意味で、こぴっとしなければいけない人間だと思っている。

執筆者: kazama

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