JOURNAL SKIN
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午後から雪になった。昔は犬のようにジープで走りたくなったがいつのまにか収まった。
今年の抱負は本を読むことにしたが、外は雪という、本を読むのがサマになる絶好の環境になった。
積んである本が山ほどあって、このままでは読めずに終わってしまう危機感を感じてきた。
それなのに電子本なるものを知ってみたくなってキンドル書籍リーダーを買ってしまった。
アマゾンで物を買うと、たいがい翌日配送という速さだが電子書籍なら、それどころかまさに即刻届く。むりもない、物質ではないから物流というプロセスがなく電気信号の速さで届くという訳だ。発注して画面を変えると、もう届いている。本の厚みというものがないから進捗状況が目視出来ないかわりに数字で表示される。読み終わったら閉じる必要もなくそこで画面は保持され電池の消耗もない。文字の大きさが変えられるから老眼鏡も要らない。まさに驚く読書環境が出来上がったものだ。
私はサイエンスやドキュメンタリーの類が殆どだったが、なんとなく普遍的な古典の名文が読みたくなった。年齢のせいか、先に逝った人たちの気持ちや価値観をなぞってみたくなったのだろうか。 CCVの石川さんに薦められたこともあり、そんな観点で電子化されたラインナップを見て驚いたのは、その類いはほとんどが無料から200円ぐらいの価格だったことだ、著作権が切れたことによるのだろうか。欲張ってキンドルが届いたその場で源氏物語完全版と平家物語を買った(貰った)。
キンドルのタブレットは1cm足らずの厚さで軽い、バックライトはないが結果的に却って目が疲れず極めて電池の消耗が少ない。山に行くとき、どの一冊を選ぶか悩んだものだがキンドルを持って行くなら本棚ごと持っていくようなものだ。それが逆に散漫になって集中できない結果を生むかもしれないが選択肢は増える。
紙の文庫本というカテゴリーは意味が薄れるように思う、コンパクトならキンドルにかなわない。なにかいいことずくめのようで欠点が今のところ見つからない。 しかし人間は合理性だけでは満足しない。 決定的なのは懐かしい紙の質感であり本の手触りではないだろうか。それも今様の厚い紙にスカスカの文字数で厚さを稼いだ上げ底のような本ではなく、二段組の細かい活字がぎっしりと詰まった古風な本がいい。
たぶん自分の中でキンドルは新しい読書形態になるだろう、この画期的な利便性を利用しない手はない、しかしその反動として、こういうクラシカルな本を読みたくもなるのではないかと思う。
執筆者: kazama
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