JOURNAL SKIN
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Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
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病院帰り、お昼を食べに立ち寄った小料理屋に父の筆跡が飾ってあった。
5年前に死んだ父と再会したような気になった。
98才とあるから死んだ年である。
父は書道を趣味とし、家中が書物やら掛け軸でいっぱいだった。
力強い字を書く方で、頼まれてあちこちのお寺や道祖神などに父の文字があった。
それが85歳ぐらいをピークとして自分の書く字を嘆くようになった。
「見ろ、こんな字しか書けなくなった」と見せられたことがあった。
体の基軸に力がなくなりしゃんとしなくなるのだと言っていた。
父は死ぬまで認知症にならず、それだけに自分の衰えを厳しく見つめ、嘆きや落胆をしきりに口にするようになった。軍隊仕込みの武道を初め、地域で短歌や俳句教室なども開いていた。
そのすべてに忍び寄る衰えに直面し、父は戸惑い、嘆いた。父をこれまで支えてきたものが、一転して重荷になっているように見えた。老いというものの、なんと厳しいことかと思った。
生きがいをもて、とよく言われるが、それすら支えてくれなくなる段階がある。
そのときどうするか、それはどこにも書いてなく、人間社会に教えというものがない領域のように見える。
しかし父の終末は見事に静かなものだった。気難しく医療をうるさがり、1月5日の厳寒の朝、起きてこないから兄が見に行ったら、床で死んでいた。苦しんだ様子もなかった。
好んでいた料理屋に頼まれたのか、どういう気持ちで98才と書いたのか、、、
店のおばさんと話したら父の好物を覚えていた。
父の字はまだ当分、ここにありそうだから、たまに来ることにしようと思った。
執筆者: kazama
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