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2015年09月08日 15時55分 | カテゴリー: 登山

雨にけぶる蜂城山738m--- 山に費やした日々を省みる

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蜂城山738m---窓から見えるこの山の頂上には元禄時代建立の蜂城天神社がある。

訪れる人はまれだが、少し急な参道があって家から一時間強で登ることができる。

一昨年山梨に越してきてから、お参りと体力作りの名目で、数えたら320回ほど登っている。

あっという間にこの低山が、これまででいちばん数多く登った山になった。

この山の次は神奈川の時代に登った大山で、たぶん200回ぐらいだろう。

その次はいきなり少なくなり富士山の20回ほど---

これらの山はトレーニングが目的で、きつい山行の前にはペットボトル等で30kgぐらいを背負ったりした。 当然へばることになり、耐えるキーワードは、ここを登れなくて目標のルートを登れるわけがない---というものだ。

山を終えて、結局は大山などのトレーニングがいちばんきつかった、という感想になる。

その他にまとまった数といえば山梨百名山。これは郷里の山なので10年ほど前に終えた。他も含めてたぶん150位登ったろうか

---日本百名山は意識せずに65ぐらい登っていたが目指さないことにした。

テント泊も多く、ここまで見える数字だけでよくもまあ時間を費やしたものだと思う。

この他にも丹沢の沢登りもかなり行ったし、無名の藪尾根とか---登頂目的ではない山登りも数知れず---

 いったい人生で何日を山に費やしてきたのか見当もつかない。しかしそれでいて山に凝っている自覚はない。ましてメシより好きとか、山が命なんてとんでもなく、たまに憂鬱だったりもする。

 趣味は、と問われてもバイクや車も好きで、胸を張って山ですとは言えない。

要は遊びの中で、山にそれだけ行く長い時間が、私に経過していった、ということか。

  山から何を得たか分からないが、思い出の場所が、変貌する時代を経ても変わらぬ姿で居てくれる有りがたさは感じていて、これは信仰に近い気もする

もう一つは病弱だった私が、知らず知らずに健康になったのは山のせいではないかと思っている。

 雨にけぶる蜂城山に今日は登らないが、雨は登らなくてもいい口実、という側面もある(笑)

この先いったい何回登るのだろうか。ここを終生の場所と決めたから、この山が私にとってどういう存在になるのか見当もつかない。

晩年になって、これが最後か---と思いつつ登る日が来るだろうか---

それまでの健康を---この山からいただきたいものだと思っている。

執筆者: kazama

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