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2017年06月06日 14時05分 | カテゴリー: 総合

...2117年12月10日....金星の太陽面通過

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(  300mmF2,8の撮影用レンズに接眼鏡を付け撮影した )

2012年6月6日、この時は住んでいた神奈川県伊勢原の家のベランダから撮影した。

朝から厚い雲に覆われていたが10時過ぎごろから雲間に見えてきた記憶がある。

天文現象の見え方は大概がとても小さく、興味のない人は地味で失望するだろう。

太陽を望遠鏡で直接見ることは危険なので画用紙に投影したものを撮影した。

次に金星が太陽面を通過するのはちょうど100年後の2117年12月10日から11日のことになる。

この時間帯が日本から見られるのだろうか?。もっともこの投稿を見てくれる人はすでに誰も存在しないが(笑)

100年後のことなど人間の決め事なら不確実だろうが、おそらく100年後のこの日、同じ光景が展開されるだろう。

管理者がだれもいない、誰が決めたことでもないのに巨大な世界の、この厳密さはなんだろう。

ひとたび地球の中となればカオスに満ちて、数日後の天気予報すら当たらない。

自然とは言い換えれば放置と無秩序のなれの果てなんだと思う。

しかしそのにこそ人知の及ばない最大の秩序があるのはなぜだろうか。。それを神の所業といえば事は簡単だが、そうは思えない。

しかもその秩序を基にした軌道計算が将来にわたって成り立つのは驚異としかいいようがない。

しかしながらその宇宙も変貌しているという、、膨張しているが、また収縮に転ずるという説もある

そこで思うのは、それを見る私たち人間のあまりのスパンの短さである。

土星の壮大な環も、一過性の姿ではないだろうか、それを「有史以来」の姿として見ている。

宇宙は光速をこえる速度で膨張しているというが、アンドロメダ星雲が、その直径分移動するのに25万年ほどかかる。身一つぶん、横移動するのに25万年、、それを眺めている私たちには、たとえ律儀に生涯眺めても静止にしか見えない。

宇宙のダイナミズムも瞬きするような短時間で見るしかないから静止であり、厳密な秩序として見えてくる。

時間という存在はなく、それは生物特有のものであり、有限な命を通しての、ものの見え方ではないだろうか。

それはおそらくその生命のスパンによって見え方が違うことだろう。

数週間の命の蚊の時間感覚は人間のそれとは違い、やはり長い一生として感じているのではないか。それから見る人間の、蚊を叩こうとする動きはまるでスローモーションで、よほど間抜けな蚊でない限り逃げられる。

初夏の宵を明滅する蛍にとって、夜明けから日没を経て夜の闇にいたる一日の変化は一年の時の流れではないだろうか。

事実という尺度があるとしても、それを認識するものがいなければ無に等しい。虚無とはそのことだろうか。

そして私もこの地球の物質から構成され、広大な宇宙のなかでほんの一握りの生命としていっとき存在し、その目でこの世界を見られることの幸運を思わずにはいられない。

2117年12月10日の太陽を金星がまた横切るとき、この世はどんな変貌を遂げているだろうか。

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執筆者: kazama

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