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きっといいことがある

荒川洋冶「忘れられる過去」(みすず書房)より

谷中に、檸檬屋という居酒屋ができたのは一九八八年七月のこと。この夏で十三年になる。日暮里駅北口から歩いて二分、ビルの二階である。梶井基次郎の名作「檸檬」にちなむが、看板はない。
客が一人もいないこともある。客がいて、店主がいないことも。

五〇を過ぎた男がもそっと、一人、そこにいる。それだけの店である。平日の夕方、おもむろに開店する。一日、客の来ない日もある。常連の一人が、金曜日に店に入った。うすぐらい店内に、ぽつんと店主の住枝清高がいて、「おまえは今週、はじめての客だ」と述べたそうだ。「ビールでいいか?」「はい」

この十三年間に、「あら、こんな店があるわ」という調子で店に来たお客さん、つまりフリの客は数人しかいない。客はみな誰かの紹介で知って、やってきたわけだ。看板がないのだから、そうする他ない。

はじめて来る客は、その日だけは、店主によってていちょうに扱われるが、一時間もたたないうちに、「すいません、そこのグラスとっていただけませんか」と、店主にいわれる。「はい」。次の客が来ると、「わるいけど、そこの冷蔵事がらウーロン茶、出してやってくれ」といわれ、さらにエスカレート。そのうち最初の客は、店主の代わりに厨房に入り、「やきうどん」なんか作らされてしまうのである。なんと粗暴な店だと怒って帰ってしまう客はまずいない。みな、これがあたり前のように感じて、自然に体が動き出し、今度来るときには、「住枝さん、だんご買ってきたよ」「ああ、ありがと」。みんなでつくる店、ということになるのだろうか。

店には何時間いてもゆるされる。ゆったりとした、ちょっとどこにもないような大きな大きなソファーかあり(これだけがとりえ)、そこにいったん休を沈めてしまうと帰りたくなくなるのだ。「自分の部屋にいるみたいな」感覚、と人はいう。そのままくつろぎ、眠り、泊まっていく人も出る。こんな自由な店は、この広い日本にもまずないだろうと思う。客は酔いつぶれたままソファーに沈没。店主は「おれ、もう帰るわ」と言って、近くのひとり住まいの下宿に帰る。これまた酔いつぶれて。

「腹ぺこの人に、うまいものをいっぱい食わせる」、そんな気持ちから、この店は始まったらしい。たしかに材料は一流、料理も「ぶあつくて」うまい。だがこの店に通う客は、この住枝さんという不思議な人を「見たい」のである。元気がなかったり、こまったことかあると、住枝さんを「見たく」なるのだ。

彼はいくつかの奇跡的な性格をもっている。抜群の記憶力。話題のひろさ。人の心を扱うときのやさしさ。とはいえ、あれこれに知識があり、かっこつける、そのへんの「名物」マスターとはちがう。全くそれではない。「そこのグラス、とってくれ」「ちょっとすまんが、そこの酒屋でビール買ってきてくれ」と、はじめての客に言う人だが、彼は冷たい人ではない。いつも客の心の隣りにいる人々のだ。

彼は、客の身辺に何かいいことがあると、その人のよろこびを自分のよろこびにしてしまう人で、それらはんぱなものではない。ぼくはここまで人のためによろこぶ人をこれまで見たことはないとさえ思うくらいだ。「それは、よかったなあ、よかったなあ」。そのことばには一点のくもりもないように感じられる。ある若い人かある賞をもらったことを、遠方からの電話で知ると、彼はうれしさのあまり終夜、1人で谷中の路地を歩き回ったそうだ。そんなことばかりだ。

夕方、住枝さんを見にいく。あら、いた。「きのう、三人泊まっていって、おれ寝てないんだ。酔い醒ましに、銭湯行ってくるわ」と出ていく。これで三時間も四時間も帰らないことがある。銭湯で眠ってしまうのだ。「もしもし、もしもしい」と、どこかのおばあちゃんに肩をたたかれて店主は我に返り、ふぬけた顔のまま、店に戻るのである。その間、客は、次に客が来るまで、店のなかで待つ。電話をとる。料理をつくる。

自由人なので、誰も彼の行動を読めない。突然、前ぶれもなく姿を消す。三日続けて電話しても、いない。「住枝さんがいない!店のなかで倒れているのではないか」。不健康な暮らしをしているので、みな心配なのだ。ニュースはあっという間に伝わり、ある人たちが「派遣」され、とうとう、近所の一人が深夜に電柱に登って、二階の店のなかをのぞいたこともある。

そんなわけで客は店に来ると、まず住枝さんの姿をさがす。いないと、とてもがっかりして「いつ戻るの」と怒ったようにきく。「いや、わたくしもいま来たばかりで」「ああ、そう」。店に来るのではない。住枝さんを見にくるのだ。そのついでに、店に来るのだ。

実は彼は学生時代に、早稲田に喫茶店を開き、そこから檸檬屋をはじめた。詩集の出版もてがけた。その店は実質一〇年続いたが、調子に乗って「破産」。何年かはちまたを漂流し、そのあと、谷中の店に着地した。人にいえないこともいっぱいある。人よりも長い人生だ。

さて店は常連で成り立つから、いつも経営の危機。みんなが集まり「この店はつぶしてはならない。なんとかしよう」とおおぜいで熱い討論。そのうち、みんなが集まってくれたうれしさからか、住枝さんは酔いつぶれ寝てしまう。「なんだよ。こんなに心配しているのに!」と、全員で怒る。でも、あくる日ぼくらはまた店にやってくるのだ。「住枝さんは?」

彼は弱い立場にいる人たちや、こまった人たちを見ると、自分がへとへとでも、さらにへとへとになるまで力を出してしまうのだ。そういうことばかりの毎日なのでいつもとても疲れている。そういう彼の人柄が店内をみたしていく。それで客もまた自分のなかにもある同じ種類の、これまで自分には見えなかった力を引き出してしまうことにもなる。誰かがこまっていると、その場に居合わせた見知らぬ客たちが話をきき、「おれのところで、なんとかしよう」「こうしたら、どうなの」というふうになって総力戦になり、いつのまにか問題を解決してしまうのだ。それがとてもとてもむずかしいことであっても。そういう不思議な力をこの店はもつ。ここで何人もの人の「心のいのち」が救われた。でもサロンではない。人に知られることのない無力の店である。彼は力を嫌うのだ。力のないほうへと流れていく。

でも客は何かがあると、「あ、住枝さんに知らせなくては」と思うのだ。どうでもいいことだったりしたら、知らせてどうなるものでもないがみんなは店にいないときでも、住枝さんのことを見ているのだと思う。

住枝さんは本が好きだが文章は書かない。でも若い人たちが「住枝さん、できました」と詩集などを見せにくると、わかりやすいことばで評定する。しかも本質をつく。ほんとうのことをききたいときは住枝さんのひとことを待つのがいちばんなのだとぼくもまた思っている。ある日、住枝さんは詩を書く若い学生に述べていた。「ことばと、つきあってみてくだきい。何かあるかはわからないけれど、そのうちにきっといいことがありますよ」と。酔っていないとき、午後七時ごろまでの彼のことばはきれいだ。きらきら、かがやいている。あとは、途方もないほどに崩れるけれど。

この店から「ボヤン賞」(のちに留学生文学賞と改称)という文学賞が生まれた。ボヤンは、ボヤンヒシグさん(中国・内モンゴル自治区からの留学生)にちなむ。この店に、ぼくはボヤンヒシグさんを連れてきた。ボヤンヒシグさんは、店の人たちと出会って、もうひとつの日本を見た。大学よりも「学校」だと感じたらしい。なにしろ住枝さんを見たのだから。

ボヤンヒシグさんは帰国するとき、みなに求められて詩とエッセイを書いた。それが店内で回覧されるうちに「本にまとめては」となり、店の仲間たちの出資で出版。その本は各紙の書評欄にとりあげられるほど話題になった。その、とてもきれいな、たしかな、力のある日本語はぼくらの目をさましたのだ。それを記念して、これからの外国人留学生(および日本語学校在校生)のための新人文学賞が生まれたのだ。あっという間に。これもこの店の力であると思う。

他にも話題にはならないけれど、この一三年間にこの店はいろんなことをした。客は生活も織場も世界もちがうが自分のもつものを惜しみなく提供する。住枝さんと同じように、人の気持ちを自分の気持ちに代える。そこから新しいもの、見たことのないものが飛び出す。ぼくはこの店のそういうところが好きだ。つぶしてはならないと思う。たとえ客が、一人もいなくなっても。

ある日の午後、ちょっと早めに店に入ると、買い出しを終えた住枝さんが一人店にいた。花を買ってきたらしく、五〇過ぎの指を動かして、花をいけている。ぼくは夢の世界を眺めるように見つめた。花のそばにいる住枝さんの、真剣なようすは、とても愛らしいものに見えた。彼には、そんな日もあるのである。

「あ、そこに、ウーロン茶があるよ」と、店主は花の陰から言った。


[ 現在の檸檬屋(東京都新宿区新宿3丁目6-11 第一玉屋ビル3F TEL:035-363-2230 FAX:035-363-2231)への地図 ]

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