JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
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Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
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たわいもなく感動してきました。
特攻を美化してるという批判があったけどそれは感じなかった。
むしろ生き延びたいという切実さが描かれていたのは過去になかった気がします。
これまでの作品は悲惨さの執拗なまでの描写、国家や集団に滅私奉公する
自己犠牲への賛美ですね…戦時下では当たり前なことを描いただけで何も発見がない。
この作品は個人としての普遍的な願望が軸になってました。
なにも難しい主義主張ではなく素直な感情だけです。
世間の論調として、自ら進んでお国のために散った若者にたいして、今の若いもんは云々、
とよく言われますが、それは最終的な形だけであって誰も進んで死にたいわけがない。
状況からして志願せざるを得ない立場に追い込まれていったのでしょう。
そして最後は自らの心をもねじ伏せ、喜んで行くのだ、と自分を奮い立たせるしかなかった。
あの数々の遺書の文面よりも、そこに至るまでの過程の心情にこそ思いを馳せなければと思います。
悲壮感と哀れさを思うばかりです。
特別に生まれが崇高な人間などなく、逆に堕落だけの人間もない、ごく普通の若者が、
あの非常時に取らざるを得なかった態度だったことでしょう。世が世ならあの若者たちも
平和を満喫し、今の若者と同じような人生を送ったでしょう。
逆に今の若者だって、あのような時代背景であれば同じような行動をとる筈です。
人間の資質には個人のなかにも善悪両面があって、それが時代背景や社会や
家庭環境によって噴出する部分が変わってくるんですね。
私は特にゼロ戦のファンではないけれど、後継がないまま、あの機体と栄エンジン
(サウンドは実録だそうです)の背負ったものはあまりに重すぎました。
さいごに一言、あの宮部役の役者がよかった。今後の実生活のなかで、
どうかイメージを崩さないでほしいものです(笑)
執筆者: kazama
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